
Art of Lifeとは、生き方という意味。
インタビューで発せられた想いを
そのまま起こすスタイルにしています。
世界で活躍する人達の
生き方をテーマにインタビュー
~Art of Life Interview~
YUKOさん
グローバル視覚障がい活動家
女性のライフサポートコーチ
singapore
【大切なものは目に見えない】

自分が活動しているものの共通は、闇を見た上で光に焦点を当てること。
視覚障がい者の世界を伝える活動も、コーチングセッションでも同じで、自分の心の中の闇に向き合った上で、光に焦点を当てていくもの。
自分の活動を通して、見えないものを伝えて行きたいと思っています。
ー 今のYUKOさんの活動は、どんなことをされているのですか?
視覚障がい者の世界を伝える活動をしています。それから、ハワイのマナカードを使ったリーディングとライフサポートコーチングです。
全ては、「見えないところに大切なものがある」を伝える活動です。
視覚障がい者の世界を伝える活動では、これまでのエピソードや関連する動画を見て、また「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇の空間で、聴覚や触覚など、視覚以外の感覚を使って体験するワークショップ)」のショートバージョンを体験いただくお話会を、定期的に開いています。
例えば、アイマスクをした上で、ジャガイモをお手渡して、これは何かを当ててもらうのですが、なかなか皆わからないのです。あとは、みかんの皮を向いて、フワッと香るものを嗅いでもらう、「知る体験」など。
ー 参加者はそれらの体験で、どんなことを感じ取っていると考えますか?
よく感想で頂くのは、「視覚が閉ざされると認識できない」が多いですね。
あと、私たちが知っている視覚障がいの人たちに対して、大変な人とか、可哀想とか、自分より出来ない人と思っていたけれど、それは違うということを理解するようになれたり。
最近は、いろいろなアプリも開発されていて、読み上げ機能を使って視覚障がい者も読んだり、見たりできる。こういったアプリがあるということを知って頂けるようになりました。
「Be my Eyes」という、世界中の障害ある人も、ない人も登録出来るアプリがあるのですが、これはヘルパーさんにお願いしなくてもいいような、ちょっとしたことを助け合うことが出来るもの。
例えば、牛乳を買ったのだけど、賞味期限を確認したい時、写真をアップすると、その時手が空いている人が変わって読んであげることが出来るアプリがあるのです。
あと、BMフェローの浅川 智恵子さん。ご自身も10代の時に視覚を失って、そこからIBMに行って視覚障がいのためのアプリを作っている方がいて、去年シンガポールに講演にいらしたので、お話を聞きに行ったのですが、智恵子さんが関わるアプリは、もっとすごくて。
例えば、お買い物に行って、チョコレートと、りんごがあります。その両方をカメラに撮ると、「最近、あなたは甘いものをよく食べるので、りんごにしなさい」って、アプリがアドバイスしてくれる。他には、自分に話しかけて来ている人の表情を読み取って、いま笑っているとか教えてくれるものとか。
私自身も今まで知らずにいて、障害があると絶望だと思っていたけど、ITや医療の進歩で、娘が大きくなる頃には、違う世の中だろうなって思う。
ー いろいろなアプリが進んでいるのですね。YUKOさんがこの活動に興味を持たれたきっかけを、お話しいただけますか?
シンガポールで娘を出産したのですが、生まれて半年頃、娘の目が見えてないと医師に指摘されて。それで人生の絶望を体験し、最初に行ったのが、ダイアログ・イン・ザ・ダークだったのです。
ー 想像できないほどの苦しみだったと思いますが、どのようにしてその一歩まで超えていったのですか?
先生に告げられてからは、毎日、泣いていました。人生のどん底。泣いて、泣いて。だから家にいる方が辛くて。
兎に角、誰かに会いたい、自分と同じような状況の人になんとかして会いたいと思っていました。
診断されてその一週間後に、娘がてんかんの疑いで入院したのですね。それはその症状はその時だけの一回きりだったのですが、日本に戻ってセカンドオピニオンと思って、帰国したのです。
その時、ダイアログ・イン・ザ・ダークのことを知り、これがシンガポールにもあるということも知って、これは絶対行かなければ。視覚障がいのことがわかる人に会いたい思いでした。

ー 辛いからの行動だったのですね。
その頃、「Tripping(アジア旅、情報サイト)」で、シンガポールの情報を発信していたのですが、この時体験したダイアログ・イン・ザ・ダークのことを紹介する取材をしたんですね。それがご縁で、ダイアログ・イン・ザ・ダークのカンファレンスにメディア関係者として参加することが出来たのです。
ヨーロッパをはじめ、各国でダイアログ・イン・ザ・ダークの活動されている人たちが一同に集まるもので、視覚障がい者の方達に会うことが出来ました。
そこで出会ったフランスの視覚障がいの方が物凄くおしゃれで、綺麗にお化粧もされていて。誰がされたのですかと聞いたら、「勿論、自分よ」って、それでこんな風に出来るんだってビックリしたのです。手の感触で自分の顔を触りながらお化粧し、周りの反応を聞きながら覚えていったそうなのです。
私が知っていた、これまでの視覚障がい者のイメージとは、全く違っていた。
ー 私には想像できない程の苦しみだと思うのですが、視覚障がい者の方達に会うことで、どのように自分のことと考えられるようになっていったと思いますか?
私がこれをなんでやっているかというと、まず、私の不安がぬぐい取れるというのが一番なのです。だから、ある意味、娘のためというよりは自分のため。
私は、不安になって気持ちが落ちやすい方だから、「希望」があればそこに向かって歩んでいける。
中には、なかなか家から出れない人もいると思うんです。だから、その「希望」を私は探したくて動き始めたと、自分では認識しているのです。
自分も娘も「自分のいきたい人生を、生きたい」そのためには、それを実現している人たちに会いにいくのが一番早い。
今もそれは継続していますが、当事者たちに直接会うことで得られる情報もあるし、パワーもあるし、心動かされるからなのです。
ー 不安を希望のスイッチに変えるために自ら動く。おっしゃった光に焦点を当てるという意味で、誰にでも言えることですね。
このフランス人のように、視覚障がいの方達がなぜ、このように自立出来るようになったか、実際の親御さんたち教育、どんな言葉かけを得てこうなったのかが知りたかった。
ー YUKOさんが、親としての立場で出来ることを知っていくためにも。
視覚障がいの方達にとっては、見えてないから大変ってことでもなくて、大変と思うことは、見えても見えてなくても同じにあるのだって、視覚障がいの方達から教わったのです。
ー そんな中で、一番YUKOさんが心響いたことはどんなことでしたか?
「自分がやろうと思えば、出来るもの。出来ないことは、助けを求めればいい」ということですね。
もうビックリだったのですが、料理できる人がいる、一人暮らしている人がいる、一人で海外に行っちゃう人、留学して英語ペラペラになっている人がいる。全盲ご夫婦で子育てをしている人がいる。
何度か、視覚障がいの方を家に呼んだり、自宅に伺ったり、実際にクッキングをして貰ったのですね。
フライパンに油を入れて、温度は手をフライパンにかざして感じる。そして、パチパチという油の跳ねる音、それから香ばしい香りで、温度を図っているのですね。
どうやったらそれが出来るかを考えているのです。そういう姿を見ていると、「私って。。。」と振り返るわけです。出来ない理由をいうのは簡単だけど、いかにやれるかにフォーカスしている。やれないことは、サポートをもらうということを自然にできている。
物凄く感銘しました。
ー 今、実際に子育てされる中で、どこまで親が手助けするかとか考えることはありますか?
シンガポールにいる人は、手をさしのべてくれる人が多いです。これが良いのかと考えることもありますが、いまはとても助かっています。
以前、娘を公園に連れていったときのエピソードなのですが、娘が滑り台を降りて、降りた所で立ち止まっちゃったのですね。
滑り台の上には、娘よりも少し大きな女の子がいて、何度もどいてと言っても、娘がどかない。それで、その子が大きな声で、”I hate you! Go away”って叫んだのです。それで娘は驚いて余計に動けなくなってしまっていて。そこで私が近づいて行って、「実はね」って、娘のことを説明したのですね。
そしたら、その子がハッとした顔をして、何も言っていないのに急に娘の手を引いて、滑り台を一緒に触りながら、「これはね、滑り台でね、上から滑ってくるものだからね、ここに居たらぶつかっちゃって危ないよ」って、説明し始めたのです。
ー あらー、教えてくれていたんだ。
そしたら、なぜか周りにいた子供達も集まって来ていて、そしたらその子がみんなに「この子、目が見えないのだって」って言ったのです。
その輪の中に、よく娘とおしゃべりしてくれていた年齢が上の子がいて「私知っているよ。でも、目は見えなくても、私とハイタッチ出来るのだよねー」って、二人でやって見せたのです。
それを見ていたら、いかに普段、親が入らなくてもいいことに口出ししていたのだって、気付かされました。
ー シンガポールには、自分と違うということを受け入れる土壌が出来ているのは、確かですね。
そうなのです。みんな違ってあたり前のシンガポール、それが私の救いですね。
以前、娘が特別支援学校に行っていたのですね。そこの先生たちがとても優しくて、他のクラスの先生でも、娘にはもちろん、ちゃんと私のことまで知っていて、すぐに声をかけてくれるのです。
特別支援学校では、親御さんは勿論ですが、障害を持つ兄弟へのサポートもしてくれて、学校を変えた今でもよく気にかけてメールをくれたりします。
ー とはいえ、逆に海外だからこそ、家族や長い付き合いのお友達もなく、これまでYUKOさんにとって、どんなことが支えになったと思いますか?
障害当事者たちに出会えていること。それから子供の面倒を見てくれる周りのサポートが得られていること。
一人じゃないって感じられることが、すごく大きいですね。

ー ご自身のためとお話していましたが、今YUKOさんが色々なところに行くことが、未来の娘さんの歩める領域を広げて行くことなのだと思いました。
私も知っておきたい。
海外ではよくある話なのですが、点字ブロック(視覚障がい者誘導用ブロック)を辿って歩いて見たら、その先に大きなドラム缶が置いてあったとか、木で道が塞がっているとか、こういうことも伝えることで変わっていくことができる。
こういうことって、視覚障がい者の視点にならないと見えてこないものなのですね。だから伝えていきたいのです。
ー 以前からYUKOさんを知っているのでより感じるのですが、これまでのYUKOさんとは違って、いま何か大きなものがYUKOさんの中から引き出されているように感じます。
色々人に出会う度に、衝撃が強くて。
私が不安に思っていたことも、視覚障がい者に対して失礼だったかなと思ったのです。それは娘に対しても、不安と思うことが、彼女の可能性を潰しかねないと反省させられました。
ー なるほど。同情心が、ある可能性を摘んでしまうかもしれない。
勿論、サポートが必要な人もいるのですが、可哀想とか、やってあげなきゃって恩着せがましいのは、良くないなって思いました。
ただ、こういうことは、身近で接してみないとわからないこと。
だから当事者たちに会ってみる、どんな家に住んでらっしゃるかとか、どうやっているのか実際に見せてもらったりして、それを伝えていきたい。
ー YUKOさんのまたその一歩が希望になる。同じ様に今悩んでいる方に届くといいね。
なんで、自分が娘のことをカミングアウトできたかというと、去年のトークイベントに誘われた時なのですね。
姉からの紹介で知り合ったイベントを主催している石井さんから、視覚障がい者を海外で育てている視点から話して下さいって。それまでは娘のことを言いたいけど、言ったら全てが変わってしまんじゃないかって不安が大きかった。
石井さん自身は、1年ほど前に見えなくなってしまった方で、でもとてもメンタルが強くて、1年後にはこうしてイベントをして、視覚障がいになったことをジョークにしてしまうような方で。その方が、一緒にイベントで喋ろうよって誘ってくれたのです。
まだ、私は誰にも言っていないって話したら、「これを機会に、いいじゃん」って、それで何度も心のサポートしてくれて、タイミング的にもここでやらなきゃ次はないと思い、意を決し、一緒にイベントをすることになったのです。
そこで、突然フェイスブックで友達だけにアップしていたものを、全公開にして、このイベントを告知したのです。
ー とはいえ、とても勇気入りましたね。
もうイベントの日は決まっているし、やるしかない。
イベントに来ていただくには、私の人となりやこの状況を知ってもらうことも大事だと思って、ここはもう自分の気持ちは一旦置いておこうと思ったのです。
そこからの反響が自分の想像していたものとは違って、すごく暖かかった。
いろいろな情報を頂いたり、視覚障がいの家族がいますという友人がいたり。自分が勝手にネガティブに思っていただけなのだって、逆に勇気が湧いて来ました。
それで、自分が伝えられることを伝えようと、思えるようになった。

ー 実際にイベントをしての反響もあったのではないかなと思います。
そこの会場が、「医療と福祉と、アート」を融合して活動されているNPO団体の会場で、参加下さった人たちも医療関係の方が多かったりして、今まで出会ったことが無いような人たちだったのは、大きかったですね。
今年のイベントでは、視覚障がいプログラムを運営されている方に出会って、そこでニュージランドでのプロジェクトをサポートしてくれないかと、イベントをきっかけにお話を頂いたのです。
私以外のスタッフたちは、全員世界青年の船の方に関わっていた方で、今は国境なき医師団に携わっていたり、今まで出会わなかったような人たちと一緒に行けた。それで、スタッフ達が学生に接するのを見て、とても勉強になりました。
ニュージランドでの体験は、いろいろな意味で面白かったです。
私はハワイのマナカードでカードリーディングもしているのですが、このマナの考えが、このニュージランドにもあるのですね。その教えを引き継いているマオリ族がいらして、偶然にも、この伝統的なマオリ族の集会場に、みんなで泊まったのです。もうみんな雑魚寝する感じで。
そのときに、マオリ族の長の方から教えてもらったのは、このマオリ族の人たちが昔、目が見えない女性を妻にしていた時代があったそうなのです。目が見えない人たちは、上(大いなるもの)と繋がっていて、アドバイスをもらう人として好んで妻として時代があった。だから君たちは、そういう世界からきたのだから、素晴らしいのだよって話してくれたのです。
マナの教えは、Give& Giveの精神です。なので、「私たちが、(滞在中)全てやらせてください」って、素晴らしいホスピタリティでした。

ー YUKOさんのマナカードの活動にもリンクしますね。これまでの自分、そして今後の自分を含めてですが、自分の人生でどんな花を咲かすために種まきをしていると思いますか?
見えているものは全てじゃない、「可能性」を見つけること。可能性は、無限大だということ。
視覚障がいの活動名は、「infinity(無限)」なのですが、私の数秘(固有の計算式に基づいて占うもの)は、「8」で、これも「無限大」という意味があるのですね。
実は、不思議な話があって、娘の名前を決めたのが、妊娠中に家族でタイに旅行に行った時のことなのですね。そこのホテルの名前も、infinityだった。
そのホテル滞在初日に、停電が起きたのです。クーラーもつかない、水も出ない状態の真っ暗中、ロウソクを立てて過ごしたのです。まさにダイアログ・イン・ザ・ダークを体験していたような。
その時に決めた娘の名前が、瑠璃という「第三の目」を表す名前だったのです。
ー いま振り返ってみればということなのでしょうが、驚きですね。
それらから、私、娘を妊娠中にオーラソーマ(上下2層に分かれたボトルを選んで深層心理を読むもの)を学びに、イギリスに行っているのですね。
その講座で、一つだけボトルを選んで持って帰っていいですよって言われて、なぜか「45番のボトル」を頂いたいのです。「家族愛」という意味があるものなのですが、それを持ち帰った。
それで娘が生まれて、先ほどの話したてんかん疑いで急に病院に運ばれた時、とっさにお守りとしてそのボトルを持っていっていたのです。
それで病室で落ち着いて来た時に、なぜこのボトルだったのだろうって、数字を見たりして調べていたら、娘のガーディアンエンジェル(守護天使)が、このボトルだとわかったのです。
そうしたら、急に花火がドカーンって、病院の窓から見える空に上がったのです。あれ、何の花火?って。誰も分からないって、ナースの人たちもなんだろうねって、こんなの初めてって話していて。
その打ち上がる花火を見ていたら、精子と卵子の受精のように見え、何だか娘を祝福しているように感じて、入院して悲しいはずなのに、なんだか嬉しくて泣いちゃったのです。
ー 何か見えないものからのサポートがあったと感じたのですね。
その時、頭の中に映像でワーッと見えて来たのは、私、赤ちゃんの時に、心臓の手術をしていているんですが、その時、母もこうして病室に寄り添って、心配しながら私を見ていた風景。
それでこの私が、その時の母の背中に向かって、「大丈夫だよ」と言いながら母の背中を摩っているのです。そしたら今度は、目の前で寝ているはずの娘が大きくなって、今の私の背中を摩ってくれたような感じがしたのです。
「大丈夫だよ」って。
あの時の母を癒してあげられたという嬉しさと、同時に娘に癒されているという安心感と。まるで、映画「君の名は」のように、過去と未来が同時に起きているような。人生って、面白いなって思った。
ー わかります。過去から、未来からやってきているような感覚。きっとお母様からも「大丈夫だよ」って、逆にYUKOさんへ送っていたのかもしれないね。
それからいろいろな不思議なことが起きて、気晴らしのためにたまたま入ったお店で、平原綾香さんの「ジュピター」が流れて。歌詞の「あなたのために歌うはいつまでも」ってパートだけが急に耳に入ってきて。「大丈夫」って言われている気がした。
「瑠璃色の地球」って知っています?松田聖子さんの歌が急に聞きたくなって、妊娠中よく聞いていたのです。その歌詞がまたぴったりすぎて。
こうして、これまでのことを色々と思い出してみると、いまに繋がることがあって、オーラソーマやマナカードを学んで来たのも、今のこの状況を乗り越えるための準備だと思った。
ー 自分を支えるためのもの。これまではそれぞれの点と点としていたものが、一つの線となって見えて来たのですね。
こういう状況になってなければ、私のように活動をしている人をみて、どこか、子どものことを利用してって、思っていたのですね。
でも公表することで、どこかで同じように苦しんでいる人のセラピーになるとわかった。
これから自分のやることは、視覚障がいの活動だと思っているので、ここにフォーカスして、ただ、ただ淡々と伝えて行こうと思っています。

ー この記事がいろいろな人に届くと思うのですが、もし、何かの理由で希望が見えずにいる方がいるとしたら、どんなメッセージがありますか?
自分で「浄化の儀式」って呼んでいたものがあって。這い上がれないくらい辛いーのだー、悔しいのだーって、感情をごまかさないで、それを自分で認識する。
昼間は泣けないから、家族が寝静まってから一人、お酒を飲みながら、音楽を大音量にして、イヤフォンでクラブミュージックを聴きながら踊って、泣く。
自分の気持ちを誤魔化さない。これを1年くらい。
嫌なことにこそ、何か意味があって、そこから得ることの方が大きい。私自身、これからの方がもっと大きな壁にぶち当たるのだろうなって思うのですが、だからこそ早い段階で、それに関係している人たちと関わることが、よき解決になると思っています。
ー これからの活動で、どんなチャレンジをしたいなと思っていますか?
日本の小学校の4年生の国語の教科書に、「点字」のことが書かれているのですね。点字から紐づいて、視覚障がいについて話ができる機会が学校などで出来たらいいなって思っています。
あと、まだ具体的には描けてないのですが、大阪で「ブラインドコミュニケーション」というのがあり、様々な選択肢を持てるインクルーシブ・アクティブ社会を作ることをミッションに、法人研修などに向けて活動をしているお友達がいて、周りの助けを頂きながらそういったことを、ここシンガポールでも立ち上げられればと願っています。
Ms. yuko
シンガポール在住歴7年目。日本の生保営業時、世界最高峰のMDRTのメンバーとなる。移住後は様々な業界を経て、現在はオリジナルのコンテンツを女性に提供。10か国以上の海外在住者をクライアントに持つ。また、旅行関連の取材執筆依頼も多数。自身の視覚障がい活動や生き方についてのメディア掲載も。視覚障がいやその他のトークイベントを世界4か国で実施。日本の大手企業でのイベントも大盛況。
直近では、シンガポールの大学院にパネラーとしての参加、また、視覚障がい学生とニュージーランドで海外体験をするプログラムにスタッフとして参加。
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