
Art of Lifeとは、生き方という意味。
インタビューで発せられた想いを
そのまま起こすスタイルにしています。
世界で活躍する人達の
生き方をテーマにインタビュー
~Art of Life Interview~
池田知之さん
株式会社セブンアバンダンス 代表取締役
sendai
【豊かさを育む生き方】

「セブンアバンダンス」お金・健康・時間・愛(人間 関係)・環境・才能・教育の7つの豊かさを意味しています。
その人らしい豊かさを気づいて欲しいと願って、「癒されながら、豊かに、笑顔の 投資術」をテーマに活動しています。
豊かさとは、投資のテクニックだけでは なくて、環境づくり、才能、そして人間関係などあって、それらに癒され、楽 しむこと。
豊かな時間を仲間たちと過ごすこともだと思っています。
ー そこにたどり着いた、きっかけはどんなことだったのですか?
ベンチャーを目指したところからなのです。その頃は、すごく野心的だった。
簡単にいうと、それが早く打ち砕かれて、協力してくれたスタッフ達や家族、自分が関わる人たちがみな豊かじゃないというか、苦しめてしまっている状況だったのです。
会社の目的、そこに向けて邁進していくことが正しいと思っていたので、人の気持ちを置いていったところがあった。色々な意味でうまく行かない、人間関係も未熟で人の気持ちも分からない。うまくいっている時もあったのです。チヤホヤされ、やりたいことも出来ていた。
今までやってきたことが上手くいかなくなった時に、周りが変わった。これが本当に大切なことなのかなって、信じられなくなったのがきっかけです。
ー それは起業して、どのくらいのことなのですか?
起業して7〜8年ですね。
自分なりに頑張ったのですけど、思い通りに周りが幸せにならない。その原因が私だって、どこかわかっていても認めてない時期もありました。そこから単純に上手く行かなかったことが悔しくて、内向きの気持ちのまま、しばらくは過ごしていた。
具体的にはマツダミヒロさん(魔法の質問主宰)の生き方に触れて、それがすごく心地よくて、とても自由そうで、関わる人がすごく幸せそうで。
まず自分のやってきたこと、これまでの価値観に疑問を持って、何が欲しいのかな、本当は何がやりたいのかなって探求した結果が、今のスタイルになったのです。
大学では「テレワーク」(通信技術を使って時間と場所の制約を受けない働き方)を研究していたのです。その頃は、パソコンを持ってホテルやカフェで仕事できることが、カッコいいとしか捉えてなかったのですが、これはその働き方だけじゃなくて、自分の人生、暮らし方、パートナーとの関係性とか、自分が一番輝けるものを何かを考える機会になりました。
ー 少し話を戻させて頂くと、大学を卒業されてすぐに起業されたのですか?
100%マツダミヒロさんの影響ですね。(笑)
その頃は、「魔法の質問」のマツダミヒロさんではなくて、ITベンチャー企業の社長。高校生の時に、たまたまマツダミヒロさんがTVに出ていて、母親が「お前、こんな人好きじゃない?」って、マツダミヒロさんは、東北芸術工科大学を卒業していると教えてくれたのです。
それで、大学の選択も影響され、同じ大学に進みました。
ー お母様からの起業家のマツダミヒロさんを紹介されたのですね、それで彼と同じ大学に行こうと思ったのですね。それはすごいですね。
子供なのでゲームから入ったのです。
ゲームの世界は結局プログラミング。そのプログラミングがしたくて、当時はまだとても高価だったのですが、アルバイトをしてコンピューターを買ったのです。それを側で見ていた母が、マツダミヒロさんのことを教えてくれたのです。
マツダミヒロさんと直接あったのは、大学生の時にミヒロさんが大学に講演にくると知り、どうしても知り合いになりたいと思って、楽屋に押しかけて行ったのです。
ー バイタリティーありますね。
ITベンチャー企業など周りにないので、働かせてくださいって一生懸命自分が出来ることをアピールして、そしたらさらりと「くれば?」って言ってくれて、それでアルバイターとして、その後インターシップとしてお世話になったのです。
大学を卒業して、そのままミヒロさんの会社で働きたかったのですが、自分の欲が出たのが、同じように肩を並べたいと思った。
それで起業したのです。

ー 憧れの人に追いつけという思いもあって、起業されたのですね。
出会った時からスーパースターだったのでライバルなどとは思ってなくて、この業界を一緒に盛り上げるつもりでいたのです。だけど、結果、自分の周りを苦しめるようなことになってしまって。
山形の中で顔を知られていて、ここで辞めたら「失敗」とレッテルを貼られる。そんな袋小路になっていた時に、唯一相談できる人がミヒロさんだった。話をしたら、あっさりと「止めたらいいんじゃない?」って言ってくれたんです。
ー 確かに、辞めるのは勇気がいることですよね。それで次への一歩はどんなことからだったのですか?
相当な打撃を受けていたので、しばらく潜っていたのです。
顔も売れて、周りからも生意気だなって思われていたのでしょうね。ちょっと前まで仲間としてやっていた人たちが、落とし込めるようなアプローチをしてきたりして余計に苦しんだ。それでもすごく応援してくれる人、否定する人と鮮明に分かれたので、ビジネスと人間関係もわかったので、そこも今の生き方、働き方のきっかけになりました。
そのあと、少し心の余裕ができた頃、これまでお世話になった人に報告に行ったのです。そのうちの一人が自分の大学の恩師だったのですね。そしたら「お前今、何もやることないだろう?おまえに合っているからやってみない?」って言われて、大学内でポジションをくれたのです。
その経験は、色々な意味で自分の自尊心が回復する経験となりました。
教授は新しい働き方として「コワーキングスペース」を研究している方で、そこでは自分の経験を生かして色々なことがチャレンジでき、また新しい働きた方をしている人たちと会うことが出来た。その当時、お客様で海外によく行かれる方が多くて、自分は小さいなって思ったのです。(笑)
お取引先の方からも、「旅行でいいから海外行った方がいいよ」って言われて、ハワイに行ったのです。海外でみるコワーキングスペースは、全く違うのですよね。それに気づいたことが、次のステップ。
その頃再びミヒロさんと会ったのですが、すでにミヒロさんは新しい生き方を実践していて、それを見ていて色々な意味で自分の価値観を壊し始めた。
「本当の豊かさとは?」を考えたのです。
なぜ、豊かにならないのだろうと、それを振り返ると今まで関わっていた経済界では、この考えは合わない。このまま続けていても豊かさは手に入らないと、やっとわかったのです。
ー 池田さんの理解できた豊かさとは、どんなことを言うのですか?
「自由」です。
時間的自由、精神的自由、金銭的自由、その先にあるのは価値観の自由です。
どうしてできなかったというと、何かを失うじゃないか、今までやって来たことを失くすのではないかと、恐れですね。
それを疑ってみて、捨て始めたのです。
そしたら怖いことなど何も起きないし、かえって自分がしたいことに時間を注げるようになったので、こっちの方がいいじゃないかって思ったのです。
ー 一般的な働き方よりは、そこまでの池田さんの働き方でもそれなりに自由があった様に思うのですが、何が池田さんの中で変わったのですか?
海外に自分が行くと、お客様が不安になる。この考えに縛られていたのです。
なので、黙って海外に行こうと思ったのです。もし、ばれててしまったらお詫びを入れて、それを受け入れればいいと思って。それでこっそり海外に行って、そこから仕事をしていたのですが、一切、気づかれなかった。大丈夫なのだって思ったのです(笑)
もう一つ、大学で研究論文を書いてそれを発表した時に、周りとのすごいギャップを感じたのです。全く理解されない。テレワークの学会なのに、理解されないのです。
唯一、そこに主婦の社会復帰を研究している女性記者の方がいて「いい未来ですね」って、賛同してくれた。それ以外他は全く反応がなくて、自分の伝え方が悪いのかなって。呆れたのと疲れたので、ここ(環境)じゃないと思ったのです。
ー 周りには先の話、過ぎた(笑)
僕としては、もっと先に行っている人達がいて、それよりも随分手前の話をしているのに、なぜと思った。でもそこで思ったのは、誰かの承認をもらわないと認められないといけないって、これが古い価値観だった。
それで、まずは自分が豊かになって、「やりたいことをやればいんだ」って思ったのです。自分がまず、楽しむこと。

ー 自分が、どんな働き方をしたいのか、生き方したいのか、考えた結果のことだから、自分がまず楽しむと考えた。
単純にそれに共感してくれる人を増やせばいんだって、やっと思えたのです。
去年の暮から毎月海外に行くようになって、そこで出会う仲間たちが自由で、心から人生を楽しんでいる人たちで、豊かだなって思って。
それに共感してくれる人たちに、自分の言葉や形を変えて伝えていければいいやって思えた。同時にこれをテーマに、ミヒロさんと一緒に会社を作ったのです。
ー 大概の人が感じるのは、考え方をシフトしようと思っても金銭的とか、条件的なことを考えちゃうと思うのですが、どのようなマインドでそのように持って行かれたのですか?
「出せば入る」です。
この言葉を聞いて、試しに手放してみようと。そしたら怖がっていたことよりも、より良いものが入ってきた。捨てるって、こんなにいいことがあるのだって実感があってからです。
一気に全てを捨てたわけではなくて、一つひとつ。まずはどうでもいいかなってことは、ほっといたら勝手に離れていって、積極的に考えてやめるというのもありますが。
そしたら自分のいい形になっていった。
相手があることに関しては、自分のやりたいことを少しわがままに主張していいんだって思った。どこか生真面目なところがあったのですが、手放せば入るということは、こういうことなのだって実感したんです。
もっと良いことが入ってくるようになったのは、自分が自然体で自分が得意なことを喜んでもらえる人と関わることができるようになって、はっきりと実感しました。
これまで勿体無いことをしていたって(笑)どんどん手放す度に、自信と実感が増えているのです。

ー 手放しと同時にありたい姿に身をおくこと。それが池田さんの場合は海外に行くこと、また自由な人と過ごすことなのですね。
実際にシフトし始めたのは、1年前ですね。
その頃とは、別人ですよ。
ー それまでの自分と?
全く違う人になりました。自分のやりたいこと、自分の豊かさをはっきり自覚出来たこと。どんどん今も捨てています。
ー 先ほど少し前のお写真を拝見しましたが、全然違いますね。1年かけてきて、はっきりと見えたと言っていましたが、いま自分のいく道はどんなことを描いていますか?
漠然と聞こえるかもしれませんが、自分が価値のあるものを見つけられる人。それがしたいことです。
その一つが株式などの投資。時間と場所に囚われない。プラス、人にも囚われない働き方って何があるのだろって思った時に、自分の目利きで判断できるのが投資だった。
それがみんなためになるのだろうなって思ったのは、ほとんど関わる人が、生活に不安を感じている。フリーランスの人にも言えることですが、収入源はひとつではなくて、その柱をいくつも持つこと。その方が、より自分のしたいことに集中できるのです。
投資の仕事として話せば、日本市場だけではなくて貴金属とか、現地に行って海外のビジネスの投資家になりたいと思っています。
ー これまでの人生を振り返って、もし、自分の人生から問われている質問がるとしたら、それはどんな質問ですか?
「本当のあなたは、どんな人ですか?」
ー その答えは?
ちょっとふざけて言うと、ペガサス(笑)
ー ペガサス?それはどう捉えたらいんでしょう(笑)
12年前に「動物占い」って流行ったのですよね。ペガサスの特性が、自分にしっくりくるんです。その特性とは、気分屋でハマればすごい力を発揮するのらしいです。(笑)
実は、親の教育でがんじがらめになっていたのです。父の影響で、休んじゃいけない、真面目にやらなくてはいけない。一般的にいう優等生。本音を隠し八方美人で、あまり悪ふざけもせず。こうあるべき、これがかっこいい、世の中が求めるものを演じていたのですね。
とても苦しかった。
周りの価値観が自分の価値観だと勘違いして、色々大怪我をして素直に疑問を持てるようになった。それが玉ねぎの皮をむくように時間が経つにつれて、本来の自分が出てきた。
ー だからこそ、この問いなのですね。
素直でいたい。
ー この答えを聞いて改めて今までのお話を考えると、また違った側面が見えてきますね。最後にこの記事を読んでくれた方に、どんなことをお伝えしたいなと思いますか?
「選んでいいのだよ」って、伝えたい。
自分が接してきた人達が「これしちゃいけない」と思っている人が多かった。そんなことはないのだよってお伝えしたい。春美さん(インタビュアー)の生き方にヒントがあると思って、春美さんは自分に制限かけていない感じがする。
逆に聞きたいのですが、どういう風に自分の気持ちを置かれているのですか?
ー お答えさせて頂くと死生観って大事だなって思っていて、死と向き合う時期があって、この人生で何が出来る、人とどう影響しあえるのだろうって考えましたね。それがいまの活動に繋がっています。
少し共感出来ると思います。
私も社会的に死を感じた。幸せについても考えている時があって、その時に出会ったのがハーバード大学のもっとも長く研究されていた研究で「幸せになる方法—The Grant Study—」。その結果は、「人間関係」。お金とか、環境というのも大事なのだけど、人間関係が良いコミュニティって心がポカポカしてきますよね。

同じような気持ちを持った人たちと楽しい時間を持てる。「心地よいと思ったら一緒に過ごしましょう」って、提案をしたいですね。
モデルは日本の神話で、お姫様が洞窟に入っちゃって岩を閉めて出てこない。でも周りが楽しくやっていたら、あれって出てくる。
そんな風になれたらいいなと思っています。
Mr. Tomoyuki Ikeda
セブンアバンダンス。お金・健康・時間・愛(人間 関係)・環境・才能・教育の7つの豊かさを目的に、投資及びコンサルティング事業 研修セミナー事業、教材開発・販売事業を提供。
お問い合わせ先:ikeda@princemoneygift.com