鎌田ウェルカー知子さん
解きヨガ主宰、進化する中年の会副会長
singapore
【自分を出しきる】

以前はね、他の人をみて憧れて、自分はそうじゃないなって落ち込んだけど、それは本当は突き詰めないといけない自分の思いを隠していたなって。
それには自分が何を出せるのかということを、きちんと突き詰めてないと。
自分が自分を出し切っていればいい。
ポケモンが育つと、メガ進化するんですが(笑)
進化し続ける。
「進化する中年の会」面白いネーミングだなって思ったのですが、これはどんなものですか?
学校を卒業したら、もう進化しなくていいんじゃないかって。実際は、人生学ぶことだらけよね。卒業して就職して、そして結婚、子育てと、ずっと学び。
「あなた頑張っているじゃない!」って、周りの友人達と褒め合うのだけど(笑)家事労働をお金に換算するとすごいんだって、でも証明されないし、誰にも褒められないって嘆く人も周りにいて。
でも、そんなことないって思っていた。
なるほど。それでこの会ではどんなことをされているのですか?
こうしてお話しているだけで、進化しているに違いないって思うの。おこがましいですけど、話をするだけで学ぶことあるし、互いに進化して理解し合っていける。
さらに、建設的に何かを気付ければいいなっと思っていて、私が学び体験してきたことヨガや質問メソッドでお役に立てればと思っています。
人は、簡単に話せないこともあるけれど、何を話してもいいんだよって思える場があれば、それだけで進化していけると思っています。
周りの友人は、そんな会があったっけ?と思うかもしれませんが(笑)何か会として設けちゃう方が話せないこともあるので、ゆる〜くやってます。
知子さんの言うその「進化」とは?
立ち止まらないこと。
好奇心を掻き立てられることに、言い訳しないこと。時間がないとか、(言い訳)〜だからって。
これまで会いたい人には会って、たとえ20分でも会って話すことで、前に進めることもあると思ってきた。
そう思います。それにしても、この「中年」ってくくりが面白いと思ったのですが、知子さん自身、中年だけどこんなことに突破できた、前に進めたって体験は、どんな事がありますか?
自分の子供達が少し大きくなったときに、ふっと「たとえ自分がいなくても、見守ってくれる大人さえいれば育っていけるんだろうな」って、思ったことがあって。
それまでは、子育てに関して全てやる、自分がやらなきゃいけないと思ってきて。もしかしたら子供達は、もう自分が居なくても育っていくのかもと感じたとき、「じゃ、何を目指していきていけばいいんだろう?」って。
それが自分の中での「中年」の始まりだったのですけど(笑)
とは言っても普通なら、「まだ子育て終わってないじゃん」とか、「奥さんとしてやることあるじゃん」って言われるのだろうけど。
何だろう......、暗い話ではなくて、それに気づけたことが良かったと思っている。それで、そうだ自分がやりたいことをすればいいって。
それでね、ちゃんと考えてみたら、結局自分がやりたいこと、大事にしたいことって「子育て」って思ったの。
一周回って気づいた。
昔は、子どもを産んで亡くなる時代もあった中で、自分はこうして子どもを産み、子どもの成長をみながら生きていけるのは、とても幸運なことだって気づいた。
だから自分が楽しんでいるその姿を、みて欲しいとも思った。
やがて子育ても終わっていくんだけど、自分が楽しんでいることは、どこか社会貢献と言うか、子育ても自分の周りと協力しながらやっていくことで、こんな社会があるってことも伝えることができる。
究極の子育てかなって思う。
本当そうですね。そして、まずは自分に向き合うことこそが「中年の進化」なのだなと思いました。
皆さんも感じていると思うけど、最近、ほんと暗い話が多いでしょ。今の子どもたちってあんまり夢を持てないというか、私たちの時代はもっと気軽だったように思う。色々と情報を知ってしまうのもあるけど。
だからこそ、子どもたちには「大丈夫だよ」って伝えたい。

それから大人の私たちにも、人生、立ち止まったり、どん底って思うこともあるけれど、「あー、あるある。そんなことー」って、互いに思えると良いなって。
「中年」としたのは、性別に関係ないので(笑)
主人の友人とお茶をしながら話し込んで、後で長いメッセージをもらったりする事があって。ただ話を聞いていただけなんだけど、あー男性も大変なんだなって。
意外と男性こそ話す場がなかったりするので、男性でも良かったら参加して頂けたらと思っています。
知子さんはどんなきっかけでシンガポールにいらしたのですか?
シンガポールは、もう23年になります。
大学を卒業をして、それまで日本で高校の「社会科の先生」を何年かしていたのですが、自分ではパスポートも持っていなくて、このまま世界を見ないで良いのだろうかと思い始めたのです。
その後、たまたまシンガポールに居る友達ができて、やっぱり世界に出ないとダメだと思って、それで出ました。
世界を感じで見たいと思って、シンガポールへ?
当時アメリカにいた友人と、北京に住む友人を訪ねに行ったのね。
もう毎食、中華料理(笑)「もうお願いだから、洋食が食べたい!」と言って。
その頃の洋食といえば「ハードロックカフェ」しかなく、それで、そこに行ったんです。そしたら、お店に自分の同じ位の年頃の団体がいたのね。
中華系とマレー系とインド系の人たちが混ざり合ったグループで、目立っていた。で、あの団体はなんだ?って話になって、そしたらシンガポーリアンだってわかったの。
それでその人たちと話をするようになって、若いのにみな北京に仕事できているという。あのスポーツの「Nike」の社員で、そこにいた人たちはマネージャーだとか、スーパーバイザーですとか言ってて。
流石の「Nike」だなって(笑)自分と変わらない年頃で、すでにそんな風に活躍していて、シンガポール人は凄いなって思った。
それで、その時に仲良くなったシンガポール人たちと連絡を取り合っていて、遊びに行くよってことになったんです。行くなら、就職して、そこの生活を肌で感じたいと思って、シンガポールへ。
23年前だと、今ほどシンガポールの認知度がなかった頃ですね?
当時、アジアに移住、就職に関する本は、一冊しかありませんでした。そういう時代です。

初めての海外生活をしていく。どんなことを感じましたか?
毎日、来て良かったなって思っていました。
会社のキャンティーンで食べる朝ごはんにしても、全てが驚きでしたね。そういう小さな驚きを体験をしながら、本当に来て良かったなって思っていました。
それで楽しくやっていたのですが、3年過ぎたあたりで帰国しようかなと思ったのです。それで一旦、日本へ帰国はしたのですが、そんな頃にシンガポールで主人に出会ったのです。
へ〜、不思議ですね。それでまたシンガポールにいる事に?
一旦は帰国して、それで行ったり来たり。
実は彼ももう帰国する事になっていたのですが、急遽仕事の関係でまたシンガポールに残るという事になって。
考え方としては主人も私も、シンガポールじゃなきゃってことはなかったんですよね。重要なのは仕事がきちんとできるところだったので、それで私も前の会社に戻って働かせて頂きました。
今思えば、ここシンガポールだったことが良かったと思います。
そして、子育てをしながらシンガポール生活も23年目に。
子育てをして、まともな人間になってきたかなって思います。
昔は社会に出れば一人前なのかなって思っていたけど、子育てしていると、子どもも自分も自然の一部なんだなって思うようになった。
だから、「こうでなければ」というのはなくなりましたね。
自分もそうしてきたように、子どもたちが「こうしなければ」に囚われないように、自然にように彼らの根や葉を広げられる。それが私たち親ができることなのかなって、考えが変わったのが大きいですね。
それまでは、周りを気にして比べたりしたけど、今はどんなに周りが違うことを言っても、これが我が家なんですと思えるようになった。だから、今は子育てをしているという感じはないのです。
ただ、子どもが困った時に、自分の答えを持っていたいなって。
というのは?
さっきも話した通り、世の中捨てたもんじゃないよって。
親が見守ってくれることも大事だけど、親が前を向いて歩いているってことを見せるのも、大事ですね。
それしかないですよね?同じ時代を生きれないので。
なるほど深いですね。「同じ時代を生きられない。」
ある時息子が、「人は死んじゃうんだから、頑張らなくてもいいんじゃないか」って言ったことがあったのですね。
彼の祖父が亡くなった頃だったので、その悲しさを受け止められずに、息子がちょっと投げやりに言ったことだったのですが、そんなこと言わせたくないなって。
私の父も闘病生活をしていたので、彼なりに「生きること」を考え始めていて。
その時に、生きて行くのは大変だけど、でもそんな中でも「イキイキしているでしょう」ってところを、どうやったら見せられるのだろうって考えた。
深い問いですね。ちゃんと楽しんで生きていく姿を見せていくのは、大人の責任かもしれませんね。そんな意味も込めて次世代へ、ご自身のお子さんへも含めてですが、もし何か伝えられることがあるとしたら、どんなことを伝えたいなと思いますか?
若さは有限。
だから、自分に「リミット」をかけないでいって欲しいなって思います。って、自分(若い時の)に言って欲しかったという思いも込めて。
本当に自分自身に聞いて、行動して行くこと。それでね、思っているのは、「自分の静かな時間を持つこと。」
普段、テレビを見ないのですが、周りを見ていると自分に目を向けている時間が少なすぎるなって思う。よく情報が溢れていてチョイス(選択)が多いっていうけど、本当は大してないはずなんですよね。
その為にも、「何も外のことが聞こえない場所」に身を置く。

心の静けさは大事ですね。知子さんがヨガをはじめ、質問などを学んでみようと思ったことは、どんな思いからですか?
ずっとテニスをしてきたのですが、体を壊して、それで他に体を動かせる方法はないかなって思って、ヨガに行ったのです。そして、「誕生学」の大葉ナナコさんから、マツダミヒロさんの「魔法の質問」を知った。
ヨガはインド人の先生なのですが、その先生も同じでスタンスで、問いかけるヨガのトレーニング。
魔法の質問講座も同じで、答えを教えないですよね?受け手次第というか、どう学びたいかだけ。
シンプル、押し付けがましくなくて、こちらに考えさせられる。やらされたくないのですね、私(笑)ヨガも質問も自分からやろうと思う、それを引き出しくれるメソッドてすごいなって思っています。
ご自身の活動を通して、これからどんな風に変わっていけたらいいなって思っていますか?
「変わる」のではなく、「進化し続ける」ことだと思っています。
実は私はもうすぐ50才になるんです。おばちゃんだけど、おばちゃんにできることってあるじゃないですか?
ありますとも(笑)50になってもー。
さらに100歳に向かって、いい塩梅を見つけていきたい。
これまではいい塩梅がわからなくて、色々なことやり過ぎた、逆にやらな過ぎた。この間のいい塩梅を見つけていきたい。
そのためのヨガであり、質問であり。さて、これからの50年の知子さんの人生から、新たに質問を問われるとしたら、それはどんな問いが浮かびますか?
「あなたはそれで満足ですか?」
知人にね、とても素敵な人がいて、多方面でバランスのいい立派な方なんです。時間もなにも無駄にしない。
能力的にはその人の真似できないけど、その方のように、ただ自分らしく一生懸命生きてないなって思って。
以前はね、他の人をみて憧れて、自分はそうじゃないなって落ち込んだけど、それは、本当は突き詰めないといけない自分の思いを、隠していたなって。
それには自分が何を出せるのかということを、きちんと突き詰めてないと。
だからさっきの人生の問いにもすぐに答えられる「大丈夫!やってるもん」って思った(笑)
自分が自分を出しきっていればいい。
本当に「自分を出し切る」ですね。その為にもマインドとボディを統合して出して。まさに解き、そして進化!
進化するおばちゃん(笑)
ポケモンが育つと、メガ進化するんですが(笑)
進化し続ける....それが私の生き方かもしれないです。
Ms. Tomoko Welker Kamata
解きヨガ主宰。魔法のスイッチトレーナー、しつもんZENトレーナー、魔法の質問キッズインストラクター、魔法の質問カードマスター。大丈夫と信じる自分(体)メンテナンスの秘訣、テニス。シンガポール在住
お問い合わせ先:kamatawelkertomoko@gmail.com
