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河田真誠さん
しつもんコンサルタント
Tokyo

【自分を生きるとは?】

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本当に心の底から沸き上がってくる大切な想い。
 
子どもの頃からなんとなく感じている、
自分にとっての「美」に真剣に向き合うとき、これまでの経験すべてが自分を生かすことだと知るね。
 
自分を生きるとは?
 
河田真誠さんの貴重な経験を伺って感じたのは、
未来は、単なる過去からの延長ではなくて、この瞬間にも、自分の手で未来を選択することで、これまで出会って来た人達の過去まですべて、いまに、そして未来に生きてくるんだなと感じます。
 
その選択が出来る私達だからこそ、自分を生きること。

ー 真誠さんのお名前は、まこと(真)、まこと(誠)と書かれていて、興味深いなっておもいました。ご自身の名前のこと、どんな風に感じていらっしゃいますか?
 
親父がつけてくれて、その理由を一回聞いたことがあるんですが、親父が「真、誠、愛」という好きで、僕が「真誠」で、妹が「愛」。
 
 
「誠」って、大変な字なんですよ。
 
 
「儒学」ってあるでしょう?その中に「仁、義、礼、智、信」という五常の教えというのがあって、武士道の元になっているらしいだけど、その5つの教えをすべてまとめた、もっとも崇高なものが「誠」だそうです。
 
 
それが「真」がついているんです。真に誠なんですよ(笑)
大変ですよ、プレッシャーでしかない(笑)

 
 
 
ー 今では「真誠さん」と呼ばれることが多いですよね!
 
そうですね、キャッチーですよね。子どもの頃から、学校でも職場でもずっと「真誠」なんですよ。
今でも「河田さん」って言われるとピンと来ない。(笑)

 
 
 
ー 子どもの頃は、どんな感じの真誠さんだったのですか?
 
とにかく生きづらかったなと思っていました。
 
 
体育と音楽が嫌いなのに、なんでやりたいくないことをやらなきゃならないのか、ずっと納得できなくて。
 
 
学校って、オール5を求めるじゃないですか? 苦手は苦手のままで良いって、誰か言ってくれたらと思いますよね。社会に出たら、苦手なものを克服するよりも、得意なところをもっと伸ばす方がいいのに、結局、苦手なことを克服することに時間をつかって、嫌いだから楽しくもなくて。小学校の頃は、どうやってマラソン大会をサボるか、そんなことばっかり考えていましたね。
 
 
あと、人と違うってことがカッコイイ、みんなと一緒にというのはカッコワルイと思っていたので、団体行動が苦手でしたね。

 
 
 
ー (笑)あえて皆と違うことをする?
 
みんなが休憩時間にサッカーするなら、自分は違うことをしようかなと。結局、一人で、いたずらばっかりしていましたね。誰にも言わずひとりで何かを仕掛けて、ひとりで喜ぶみたいな。今思おうと、ちょっと根暗かもしれないですね。
 
 
暴走族とかの悪さでなくて、人と違うんだよねってことをしたかった。なんか自分の可能性というか、僕にしかできないことみたいなものを知りたかったのかも知れないですね。
 
 
あと、好奇心は人一倍強いと思います。
 
 
宇宙とか、深海魚とか。調べても、調べても、答えが出ないようなことを考えるのが好きで、授業中も「宇宙の端っこはどうなっているのだろう」、「深海魚は何であんな進化をしたんだろう?」って、ずっと考えていましたね。
 
 
そんな感じだったので、コミュニケーション力は低かったですね、友だちも少なかったですし。
 

 
 
ー 今とは違って、人前に出るのが好きじゃなかったのですね?
 
いまでも、好きじゃないと思う。今でも率先して前に出たいとは思わないです。他に伝える方法があるなら、人前に出なくてもいいかも。少ない人と丁寧に関わる方が向いているような気がします。
 
 
 
ー いまの感じからは想像つかないですが(笑)、どこから自分は変わったなと思いますか?
 
変わったという感覚は、あまり無いんですけど。高校1年生の時に、高橋君という、ずっと一緒にいる友達が出来たんです。
 
 
高校は電車通学で、彼とは同じ方向で。それまで見知らぬ他人だった高橋君が、ある日急に声をかけて来て、「真誠だよね?一緒に帰ろうよ」、「いいよ」って、そこから始まったんです。
 
 
そんな彼が、僕の変態性(いたずら)を理解してくれた人で、それまでひとりでやっていたことを、一緒にやろうって。色々ないたずらを一緒にしましたね(笑)ひとりでやるよりも楽しかった。あー、友達っていいなと思いました。
 
 
あとは、大学の時のサークルでしょうね。今の仕事や、僕の人間性みたいなところに大きく影響していると思う人が、大学の時にちょっとだけ参加してたサークルの主催者だった人です。ちなみに、この人も高橋さんです。(笑)
 
 
そのサークルは学生むけのイベントの企画をしていて、スキーツアーとか、ファッションショーとか、学生が喜びそうなことを、みんなで話し合って企画してたんですね。
 
 
それがすごく楽しくって、人を喜ばせる何かを生み出すことに楽しさを感じるのは、このサークルでの時間がベースにあると思います。ひとりじゃなくて、みんでやることで楽しいこともあるってことを教えてくれたのも、間違いなく彼ですね。

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ー 高校の頃の自分は、どんなことを表現したり、吐き出していたのだと思う?
 
 
いま思えば幼いとは思うけど、社会に対する反発心みたいなものもあったと思います。
 
 
尾崎豊とか BOOWYとかを聞いて育ったので、窓クラスを壊して周らないといけないみたいな(笑)
 
 
少しずつ、大学入学とか先を考えないといけない時期になっても、大人達はみな楽しそうじゃない、ワクワクしない。このままサラリーマンにはなりたくないというか、「仕方ない」で人生を決めたくなかったんだと思う。
 
 
妥協せずに最高の自分になりたいというか、外でもない何かになれるんじゃないか!みたいなね。そんな「人と同じことはしたくない」というは、小学生の頃から変わってないですよね。
 
 
学校の先生も親も通知表でものをみるのが嫌でした。
 
 
「将来何なりたいの?」なんて大切な話をゆっくりしたこともなく、成績良いんだから大学行けみたいな。どうしようって親に訊いても、「とりあえず大学で考えればいんじゃない?!」と言われて。
 
 
結局、そんなモヤモヤした気持ちは晴れないままに大学に入るんですけど、「自分で判断したい。自分の人生を生きたい!」という気持ちが抑えられなっちゃって。
 
 
人から言われたからやるってのが、嫌なっちゃったんですね。
 
 
やる気がないことを続けられるほど、器用じゃないんです。それで大学まで行ったんですけど、半年で中退したんです。

 
 
 
ー それはどんなきっかけで、大学を辞めることになったのでしょうか?
 
小学生の頃からバイクが好きだったんですね。
 
 
小学生の時から、いつかは、ハーレーのカスタムショップを開きたいと思って。大学に入ったころ、このまま学び続けることに意味があるのかなって思いはじめていた頃に、たまたま、広島で一番大きなバイクチェーン店を営まれていた社長さんと知り合うことができて、その人の会社に入れてもらうことになったんです。
 
 
なんかね、僕の人生、いつの時代も引き上げてくれる人がいるんですよ。本当にありがたいことです。

 
 
 
ー バイク屋さんに行かれて、どんな経験をしましたか?
 
勤めて1年半位たった頃に事故って、半年くらい入院したんです。足が動かなくなってバイクにも乗れなくなって、もうバイク屋の店頭には立てなってしまいました。
 
 
どうしようと悩んでいたら、社長は、本当に僕をかわいがってくれていて、ある日「オマエは頭がいいから、仕入やれ」って、仕入担当になったんです。
 
 
バイクに乗らなくなった方から直接買い取ったり、他のバイク屋さんに売ってもらったり、バイク屋さんだけが参加できるオークションみたいなところで、相場より安くバイクを仕入れて、少しキレイにしたりして他のバイク屋さんに高く売るんです。
 
 
その仕事を4年くらいやっていました。

 
 
 
ー その経験から、どんな事がいまの仕事に繋がっていると思いますか?
 
「どう自然と相手をその気にさせるか?」という点でしょうね。
 
 
バイクを売ってくれる人は1円だも高く売りたい。僕は1円でも安く買いたい。毎日、その心理戦なんですよ。しかも買い叩いたりすると、悪いウワサが広がっていくから、お客様にも「ここで売ってよかった!」と思ってもらいながら、1円でも安く買うかという挑戦の毎日でした。
 
 
あと、自分が仕入れたバイクを売る時には、世の中の流れを知らないと売れないんですよ。
 
 
今、消費者はどんなものを欲しがっているのかを肌身で知ることが大切だなと思います。東京で流行っているものをそのまま地方にもっていっても受け入れてもらえないんですよ。そこに住んでいる人の意識が違うから。その違いを理解することが大切かなと思います。
 
 
東京に早い段階で行けるようになったのもよかったです。やはり、いろいろな物事に対する貪欲さや、変化に対してのスピードの違いを感じましたね。

 
 
 
ー その仕事は、なぜ辞めたのですか?
 
結局、そのバイクの仕事は5年くらいで辞めてしまうんです。
 
 
年収はとてもよかったんですが、休みが全然なくて、少し心が疲れてきてたんでしょうね。色々な成長もしたのだけど、段々、何のために生きているんだろうなって考えるようになったきました。
 
 
通帳の数字は増えていくけど、これで幸せなのかなって。
 
 
あと、街で見るバイクも、カッコイイなって思う前に、売れそうだなって見るようになってしまったんですね。あんなに好きだったバイクにも、ロマンを感じなくなってしまったんですよね。
 
 
そんなタイミングが重なった頃に、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでしまったんです。主人公が1年くらいかけて、香港からロンドンまでを旅する本なんですね。
 
 
これを読んで「あ、これだ!」って(笑)
 
 
これまでにやったことない経験をしてみたいなとか、見たことない世界を見てみたいなとか、何のために生きてるのかのヒントを見つけたいなとか、それで会社を辞めて、バックパッカーで1年位の旅に出たんです。

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ー それはどんな旅だったのですか?
 
出発する時には、もう日本には帰ってこないで、良い場所があったら移住しようと思っていたんです。その事を当時お付き合いしていた人に話したら、一緒に行くってことになったんです。
 
 
タイから入って、マレーシア、シンガポール、インドネシア、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミヤンマー、バングラデシュ、ネパール、インド…と旅をしました。
 
 
基本的な移動は電車やバス。泊まるところはボロボロの安宿。食事は現地の人がいくような食堂。。。みないな、本当の貧乏旅行でした。
 
 
インドから、トルコ方面に行くはずが、911のNYテロで国境封鎖があって、そこから西へ行けなくなってしまい、仕方なくニュージーランドに行ったんです。ただ、ニュージーランドに行って、飽きちゃった。暇になっちゃったんです。アジアと違って快適だけど、ただただヒマ(笑)特になにも事件も起きないし、楽しくない。
 
 
そんな頃、そろそろ帰ろうかって思い始めたんです。旅をしているとなかなか得られないものがあるんです。
 
 
それは、「働く」ということ。
 
 
誰かの役にたって、「ありがとう」って言われたりとか、ちょっと壁を感じて乗り越えたりとか、そんな生産性があることがしたくなってきました。なんか、人との関わりを持ちたくなったんでしょうね。
 
 
旅の中で「なんのために生きるのか」みたいなものは、とっても明確になっていて、あとはそれをどう実現しようかということに悩んでいました。このまま旅の中で見つけることもできたかもしれないけど、そのヒントは日本にあるなと思い始めたんですね。
 

 
これまでは、日本にいることは狭くてつまらないから、外の世界に出たいと思っていたんですが、実は、日本でいることってスゴイなと思い始めたんです。日本人でいるってすごいメリットだなと。けど、日本のことって、意外とよく知らないんです。
 
 
旅先では色々な人に日本のことを聞かれるんだけど、全然知らなくて。広島生まれなのに、原爆のこともよくわかってないし。「仏教と神道の違いは?」、「そもそもお前はブディスト(仏教徒)なのか?」と聞かれて、「多分、そう思いますけど。。。」みたいな。
 
 
だから、外に出る前に、日本のこと知ろう。日本でできることをまずやろう!って、帰国したんです。この旅で、だいぶ自分の人生変わったと思いますね。

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ー なるほど。それは行ったから気づけた、ステージですね。
 
バイク屋で働いている時は、半分自営だったんです。たくさん儲かるんだけど、全然休みがないから、どんどん貯まっていくんです。その通帳の数字を見てても、なんか幸せじゃないなって思い始めて。
 
 
4−5年、毎日同じような生活をしていたこともあって、ちょっと刺激がほしくなって、ひと月休ませてもらって一人でエジプトに遊びに行ったんです。その時のことが、人生を大きく変えることになるんですけどね。
 
 
エジプトのカイロに大きなマーケットがあって、中が迷路のようなんです。大きな通りとか、そういうのも無くて、本当に迷路なんですよ。
 
 
道には強い方なんですが、そんな中で迷子になって帰れなくなって、人に聞いてもあっちだ、こっちだって。車も走れないようなところで、タクシーも呼べないし、全然歩いても、歩いても帰れない。
 
 
もうどうしようもなくて、疲れ果ててジューススタンドの前で休憩していたら、お店のおじさんにどうしたと訊かれて、事情を説明してたら、そのおじさんが、もう夜だし、これ以上歩き周るのは危ないから、近くにある自分の家で休めばいいよって言ってくれて。
 
 
それもそれで怪しそうなんだけど、エジプト人の家に行く機会なんてなかなかないかなと思って、そのおじさんの家に行ったんです。
 
 
小汚い家で、瓶に水があるんだけど、なんかぷかぷか浮いているところから水を掬って、飲めって言われて。ご飯も出して頂いたんだけど、水もご飯もこれ食べたら、俺、絶対お腹壊すよね?って感じで。(笑)でもお腹空いているし、どうしようって(笑)
 
 
そんなことをしていると、なんだか訳もなく腹が立ってきて。なんで俺、エジプトでこんな目に会わなきゃならないんだって。(笑)そのおじさんにケンカをふっかけたんですね。
 
 
僕は日本人だけど、日本の歴史より、エジプトはもっと長い歴史があるんじゃない?昔は、ピラミッドをつくるだけの技術があったでしょう?でも、それからあまり進歩してなくない?日本はだいぶ進化しているよ。俺だって、遠くエジプトまで旅行できるお金も持っているよ。いいでしょ!?って。
 
 
そしたら、そのおじさんが、「俺には奥さんがいて、子どもがいて、ヤギがいて、毎日飯食えているし、一緒に酒を飲める友達もいる。お前、これ以上何がいるんだ?」って。
 
 
もうびっくりですよね。そんなこと考えたことなかった。
 
 
一生懸命に、お金、お金と働いてきた僕は幸せじゃなくて、幸せを見つけたくて旅に出た。でも、このおじさんは、幸せだって言い切れてる。なんか、これまでの「こうすると幸せ」みたいなものが一気に崩れた時ですよね。
 
 
本当に何が欲しいのかをちゃんと知らないといけないなと思いました。
 
 
なんだかね、いつも心の中に怖れがあったんですよ。ちゃんと働かなきゃとか、ちゃんとお金を稼がなきゃとか、ちゃんと常識的に振る舞わなきゃとか。その怖れから逃れるために、一生懸命に勉強して、一生懸命に働いて。
 
 
でも、足元をみると、幸せではなくて。「どうすれば、自分は幸せなのか」という「生き方」をちゃんと見つけ直さないといけないなーと思いました。
 
 
なんでも自由だとしたら、僕はどう生きていきたいんだろう?って。
 
 
なんか、この感覚の先に、自分が求めているものがあるような気がして、1年の旅に出ることにしたんです。

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ー それは深い気づきですね。それで更なる旅に出られたのですね?
 
いまの僕の仕事は、企業のコンサルや、起業家のサポートを通して、お金にない所にお金を生み出すことをしているんですね。
 
 
なぜ、それをしているかと言うと、どうしても叶えたいことがあって、それを叶えるには、僕がまた力不足なんですよ。だから、自分の器を作る、経済力を養う、人に影響を与える立場を作るなど、今できることをさせてもらっているところです。このまま力をつけていって、その叶えたいことが実現できるようになると、本当に幸せだなと思っています。

 
 
ー その「本当に叶えたいこと」と出会ったのがインドだったんですね。
 
 
インドのガンジス川ってあるでしょう?そこにヒンドゥー教の総本山があって、インド人の憧れの場所になってて、みんなバスでお参りに来るんです。お祈りに来た人も、そこで修行をしている人も、そこで生活している人も、みんなガンジスの周りで生きてる、なんか混沌とした場所なんです。
 
 
そこでは葬儀場もあって、女性や子どもの遺体は布で巻かれて、そのまま川に流すんです。そうすると川にいる魚が食べちゃうらしいんですね。成人した大人の男は、薪を積み重ねた上に寝かせられて、そのまま焼かれるんです。
 
 
それをずっとひと月位、毎日のように見ていたんです。

 
 
 
ー 日本で言うと、火葬場にずっといたような感じですよね?でも、なんでひと月もそこにいらしたの?
 
なんでだろう…
 
 
その広場は階段になっていて、なぜか、お爺さん達が一杯座っているんです。で、何をしているかって聞いたら、みな死ぬのを待っているって言うんです。
 
 
ヒンズー教の総本山だから、ここで焼かれたいって、自分が死ぬのを待っているんです。けど、面白いは、ちゃんとご飯を食べるんだよね。死にたいわけではなくて、その時をただただ待っているんですよ。
 
 
そんな死を間近にした老人と一緒に25歳の僕も、人が焼かれていくのを、じっと見ているんです。明日は自分だなって。シュールでしょう?

 
 
人って、数時間で「無」になるんだよ。数時間経つと、枕木の燃えカスなのか、人のなのかも分かんない。最後はそこに残ったものを川に投げ込めば、もうなにも残らない。そこに人が居た事実もなくなるんです。
 
 

 
ー そんなに、、、燃えてしまうんですね。
 
それを見ていたら、死ぬってこんなカンタンなことなんだなって。そして、いつこうなるかもわからないんだなと、段々気が楽になって。
 
 
人生って、楽しいことも、嬉しいことも、悲しいこともいろいろあるけれど、結局、最後はこうやって死んでいくんだって。なにも持たずに、そのあたりにある石ころと変わらないように。そう考えると、ムダに悩むことも、何かを怖れてる気持ちとか、安全な道を歩もうとしている小さな自分とか、なんだか一気にバカバカらしくなってきたんですね。
 
 
なにがあっても、最後はこうやって死んでいけばいいんだなーと、とても気が楽になりました。生きているだけで幸せなことなんだなとも思えましたよね。
 
 
あれがなければ、これがなければ…なんていう幸せの条件が、「生きていれば」まで下がりましたから、とても楽に生きていけますし、どんなことがあってもプラスでしかないから、毎日とても幸せを実感できるようにもなりましたよね。

 
 
あと、一生懸命に自分のところに集めても、結局は何も持っていくことはできないんだから、たくさん与えた方がいいんだなということにも気づけました。これは今の僕をつくる上では、とても大切な発想になっています。
 
 
 
ー それは凄い経験でしたね。しかも25歳でね。もしかしたら10代に感じたモヤモヤってことが、そこに繋がって行くのかもしれませんね。
 
もうひとつ、強烈な経験があって、そっちの方が今の仕事に繋がっています。
 
 
ガンジス川の周りって、ホームレスがたくさんいるんですね。宿から一歩出るとお金をくれって子どもに囲まれるような街で、ホームレスが住んでいる所を通らないと飯も食べに行けないようなところなんです。
 
 
ある時、そのホームレスの人が住んでいるあたりを歩いていたら、僕くらいの年齢の女性が赤ちゃんを抱き押さえていて、肉切り包丁のようなもので、その子の手を切ったんですよ。
 
 
さすがに、この街でもまずいだろうと思って止めようとしたら、周りの人立ちが僕を羽交い締めにして、そこから引き離されたちゃったんです。

 
 
 
ー 真誠さんをそこから引き離したの?
 
そこからすぐに宿に戻って、見たものを話したんです。
 
 
そしたら「もう忘れろ」って言うんです。お前に話しても、絶対理解出来ないことだし、忘れた方がいいって。これまでも何度かあって、日本人や、西洋人に話した所で、絶対理解できないし、イヤな気持ちになるだけだから、もういいんだって、宿の人は言うのです。
 
 
それでもって、なんとか食い下がっていると、宿の人が「あれは母親の愛情なんだ」って言うんですよ。いまでもインドではカースト制度が残っていて、お金も教育も行き届いていないこともあるから、あの子どもは、どんなに才能があっても、これから、どんな努力をしても、一生ホームレスなんだよね。
 
 
一生をホームレスとして生きるなら、五体満足でお金を要求するよりも、手が無い方が貰いが多いからって手を切ってたんですね。それが母の愛情なんだって。たしかに、手足の無い人が本当に多いんです。
 
 
これが、本当に愛情かどうかとか、他に方法はないのかとか、そもそも子どもを生まなければいいとか、いろいろと意見はあると思うのですが、僕はそこで思ったことがあったんです。
 
 
そこで初めて「自分の将来を自分でコントロールできる」って、本当はすごい幸せなことなんだなって気付いたんです。
 

 
日本という、とても恵まれた環境に生まれ育ったら、将来を夢みるなんて、とても当たり前のことなんだけど、実は、それがどれだけ幸せなことなのか、その時始めて知ったんです。
 
 
 
ー そうだね、私達先進国の者は、みなそうだね。
 
夢を叶えたいんだよねって言える人って、世界レベルで言えば100人に1人ぐらいしかいないそうですよ。残りの99人は、才能があっても、努力をしても、未来を変えることはできなくて、与えられた環境を受け入れるしかない。
 
 
なんかそこに「やるべきこと」を感じたんですよね。
 
 
未来を変えることができる立場にいるのに、ただただ自分の幸せだけを求めてていいのかなって。美味しいものを食べて、なくても困らないようなものにまでお金を使って、便利や快適さや安さをどんどん追求して、その裏では泣いている人もたくさんいるのに、それでいいんだろうかって思うようになったんですね。
 
 
いや、それまでもテレビとかで、そういう貧しい人がいることは知ってたけど、無関心でした。どこか違う世界の出来事だと思ってた。
 
 
でも、この旅での経験を通して、その世界がすぐそばに来ちゃったのかもしれません。もう知らんぷりできないところまで。

 
 
日本という国に生まれたのは、本当にラッキーなことですよ。でも、そのラッキーさを独り占めしていいのかなって。自分の幸せを追求するだけでなく、他になんか出来ることは、あるだろうって思ったんです。
 

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ー その経験が、今の仕事につながってる。
 
今、僕がやっている仕事は、あたらしいビジネスを生み出すお手伝い。コンサルタントとして、企業や起業家さんに関わりながら、いろいろなビジネスを現場で体験させてもらっています。
 
 
どんな人や、どんな会社にも、そこにしかないものがあって、それをうまく引き出し、調理することができると、ちゃんと魅力的なものになり、お金を生み出していける。
 
 
それを、お金がない地域の人たちとも一緒にやりたいんです。今は、ネットは普及しているから、昔よりもやりやすくはなっているかなと思います。

 
 
 
ー いま真誠さんが日本にいて、その活動を通してその輪が広がって、99人のひとり、ひとりが、経済を回せる側になれば良いと。
 
例えば、ここの5人いたとして、AさんがBさんに何かをしてあげて1万円もらう。次はBさんがCさんに何かをしてあげて1万円もらう…としていけば、みんなが自分のできることでお金をもらえる。それがお金を生み出すってことですよね。
 
 
自分のできることをお金に変えていくことができる。
 
 
今は貧しい国の人も、その輪の中に入れって、1万円分の何かを提供すればいいんだよね。
 
 
その輪に入れないのは、提供するものがないか、提供する仕組みがないか、シャットアウトされているかでしょう。それを壊していきたいなと思ってます。
 
 
これは理想論だし難しいんですよ。なぜなら、今のままの方が都合のいい人もいるだろうし、その人の方が力もお金も持ってるだろうから。僕一人でどうにもならないのはわかっているんだけど、でも、何かできるんじゃないかなとおもって、今できる僕なりの価値観と方法で、挑んでいるところです。
 

 
 
ー もの凄い経験から1年ぶりにマテリアルが溢れた日本に戻って来て、どんな気持ちでしたか?
 
苦しいよね。そりゃ苦しかった。すごく疲れる。(笑)
 
 
まずね、ちゃんとしないといけないのが苦しい。ちゃんとした服を着ないといけないし、ちゃんとした振る舞いをしないといけないし、周りに合わせないといけない。本当はそんなことないのかもしれなんだけど、そうしなきゃいけないって思わせる何かがある。(笑)
 
 
あとね、情報が多すぎる。

 
 
こうして座っただけで、周りの会話が自然に入って来ちゃうのがツライ。外国にいると、隣の人の会話なんて聞き取れないから、だんだん、自分と会話上手になっていくからね。内向的というか、ひとりで楽しめるようになっちゃう。
 
 
テレビも早すぎて聞き取れない。あれからテレビを見るのを止めたんです。

 
 
 
ー 日本に帰って、その後はどうなさったのでしょうか?
 
旅の最後くらいに、日本に帰ってなにができるかな。どこから手をつければ、叶えたいことを実現できるかなって、ずっと考えてたんですね。
 
 
バイクの仕事をしていた時に、バイクを買い取るためのホームページや、新聞広告とか、タウンページの広告などを作成した経験があって、その時、売るということ、人の心の動き、マーケティングって面白いと思ったことを思い出して、まずは売る力を身につけたいなって思って、デザイン会社を始めたんです。
 
 
けど、まったく経験はないので、イラストレーターとか、フォトショップというデザインのプロが使うソフトがあるんですが、それさえも知らなかった。
 
 
もちろんそのソフトの使い方も知らない。何も知らないまま始めたんです。(笑)

 
 
 
ー へ〜、何も知らずに?(笑)
 
いま思えば、必死だったんでしょうね。本当に周りの方に助けてもらって、なんとか生きていた感じです。
 
 
始めのころなんて、「名刺作れます?」って問い合わせがあって時に、やったこともないのに「できますよ」って言っちゃう。それから本屋に行って、名刺の作り方を勉強して納品するんですよ。もう必死だし、楽しいから、一生懸命にやりますよね。技術がないから、時間と熱意でそこをカバーしてました。
 
 
本当に、周りの方は、よく僕に仕事をくれたなと今でも思います。感謝しかないですよね。
 
 
そうこうしていると、技術もセンスも身についてきて、少しずつ仕事もお客様も、一緒に働いてくれる人も増えていきました。
 
 
このデザインの仕事をしていて一番楽しかったのは、自分の影響で結果が出るってことでしょうね。チラシとか名刺とかつくる時に自分のアイデアを出すと、それで売れていくということが面白くって。

 
 
次第に、デザインの仕事以外にもアドバイスを求められるようになるんですよ。お祭りをするんだけど、なんか面白い催し物はないかなとか、こんなプロジェクトがあるんだけど、なんかいいアイデアないかなーとか。それが楽しかった。
 
 
小さなころにひとりで過ごしてきた時間、友達とイタズラしてた時間、サークルで企画を立てていた時間、バイク屋での時間、旅をしてた時間、僕のこれまでの経験やそこで培ってきた価値観が花開いている感じがしましたよね。
 
 
あ、どれもムダじゃなかったなと心から思えました。
 
 
その頃から、デザイン会社よりも、こういったアドバイスなどをして、人に影響を与える仕事っていいなと思うようになってきました。同じタイミングで離婚をすることになり、僕がこのデザイン会社を出て行くことになりました。
 
 
またゼロからのスタートです。

 
 
 
ー またゼロから。
 
時々、リセットボタンを押したくなっちゃうんですよね。そこでやっていることがマンネリ化してくると、変化を求めてしまうんでしょうね。今ある小さな成功にあまり固執してなくて、もっとやりたいことが見つかったら、さくと乗り換えちゃうところはあると思います。
 
 
でも、自分の中では、捨てている感じではないんですよ。学校を卒業したって感じです。

 

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ー これまでのお話を聴いていて感じたのは、真誠さんが体験した景色の中には見えないひもでその全てが繋がっていて、それは「生きること」、「ワクワクとして生きること」、そんな風に感じました。
 
たぶん、小学校の時に思った、皆がそれぞれやりたいことをやって生きれればいんじゃないってのが、ずっと続いているんだと思う。
 
 
インドでもそうじゃないですか?みんなやりたいことをやって生きれていない。
 
 
自分らしく生きるって安易な言葉になってしまうけど、自分の選択として生きて行く。納得して生きてないってことに敏感なのかもしれない。
 
 
 

ー 自分が選んでいるんだって思えること。
 
サラリーマンでも起業家でも、なんでもいいんです。大切なのは「自分が選んだ」と思えるかどうかだと思うんです。他人に押し付けられたものではなくて、ちゃんと自分で選択できているかどうかが大切。
 
 
他人に押し付けられたものだと、うまくいかないときには、すぐ言い訳やグチが生まれちゃう。でも、自分で選択すれば、そこに覚悟や強さが生まれてくる。自分の人生、自分の選択で生きていきたいですよね。
 
 
 

ー それが真誠さんの、いまの仕事、表現しているもの全てつながっているんですね。
 
僕は、何かを教えるコンサルタントではなく、僕が質問をして、その答えを一緒に考えることで、今ある問題の解決策を生み出していくスタイルのコンサルタント。
 
 
しつもんが心地よいのは、押し付けられるものではなくて、自分の中にあるものを引出して行く。だから腑に落ちているんでしょうね。
 
 
 

ー これからどんなものを創って行きたいですか?
 
これまでのマスメディアが作ってきた消費のスタイルと真反対のものを作りたい。
 
 
これまでって、とある憧れをつくり、それに近づけるために商品を作ってきたでしょう?テレビや雑誌で流行をつくるし、こんな顔がかわいいとか、こんなスタイルがいいとか、ひとつの「憧れ」をつくりますよね。そして、その憧れとの差で物を売ろうとしますよね。
 
 
あの有名人みたいな顔やスタイルになりたいとか。そのためにはこれを買うといいよみたいなね。
 
 
 

ー はい、ある種のコントロールですね。
 
憧れるということは、それはそれでいい面もあるんだけど、人ってついつい自分にないものに憧れちゃうでしょう。たまたま社会が作る憧れに近い条件で生まれた人はいいですよ。けど、そうでない人もいて、そうなると憧れに近づくことはできなくて、どんどん苦しむことになっちゃう。人によっては、どうせダメなんだってところからや、妥協から始まっていく。
 
 
なんかそれ違うなって。
 
 
考えてみると、どんな人にも、その人にしかない魅力があって、それが花開くような生き方がいいと思うんですよ。サクラがヒマワリに憧れても、ヒマワリにはなれない。サクラにはサクラの魅力があって、ちょっと目線を変えれば、サクラに憧れる人だっているんです。なんか、もっと自分の中にあるステキな部分に目がいって、それを受け入れて、伸ばしていくような生き方ができるといいな。
 
 
今の仕事もそうで、企業でも、起業家でも、僕の仕事はそこにしかない魅力を引き出していくことだと思っていて、一社でも多くの会社が、その会社らしくて、ひとりでも多くの人が、その人らしく輝ける社会にしたいなと思って活動してます。
 
 
 

ー もしかすると、真誠さんがエジプトのおじさんに言われたような、既に持っているものに気づくことなんですね。
 
自分に素直になって、自分を大切にするってことなんでしょうね。
 
 
ひとり、ひとりが持っているもを、開化し続けること、それが豊かさで、それがしたいんだと思う。エジプトは、日本を目指さなくていいってことなんだよね。
 
 
あれを20代で感じたのは良かったですね。あのまま行かずにいたら、売上げの数字を追っていたかもしれませんね。でも、難しいですよね。一回(お金、選択)持ってみたから気づけた面もありますしね。本当に恵まれていたなと思います。
 
 
 
そうですね。若くてお金を持ってみたから。でもその経験は、真誠さんの人生観であり、死生観でありますね。もし、いま時間があって、旅にいくとしたら、どんな旅にしたいですか?
 
 
文化がある国に行って、そこの文化を創ってきた人や守ってきた人。例えば、職人さんかもしれないし、村長さんかもしれないし、そんな方達と一週間くらい語り明かすってことをずっとしてたいし、機会があるのなら、ニューヨークのホームレスとか、ギャングとかとも話してみたい。
 
 
常識って、多くの人の真ん中じゃないですか?ということは、上も下いる。その上や下にいる人にすごく興味があります。真ん中におさまりきらない、ある意味で「変態的」な人たちと語り合いたいですね。
 
 
 

ー それをすると、自分にどんな影響があると思いますか?
 
ただの知的好奇心だと思います。自分の見ていた世界と違って見ている人がいるんだって思うのが、すっごく楽しい。
 
 
ある時まで雨の日は憂鬱だったんですよ。
 
 
でも、傘が好きなおばあちゃんがいて、その人は「お気に入りの傘がさせるから雨の日は好き!」って言ってたのを聞いて、そんな発想もあるんだなー。あ、ステキだなーと思ったんですよね。僕もステキな傘を買ってみたら、雨の日が好きになりました。僕の人生、そんなことばっかり。(笑)
 
 
今まで上から見ていたものを、横から見る人がいるんだ!って、それを知るのが楽しくて仕方がない。
 
 
上や下、右や左、いろいろな価値観に触れれば触れるほどに、自分が自由になっていく気がして、とても幸せを感じます。
 
 
 

ー そっか、子どもの頃に好きだった、みんなと違うってことを知る、やるってことが楽しいのですね。
 
できるならそれらを記事にするとか、本にするなどして、多くの人の財産になればいいなって思う。
 
 
多くの人にふれてもらって、自分を好きになったり、これでいいんだって思えたり、自分の中にあるステキなものに気付いたり。そんな「自分を生きる」きっかけになるといいなと思います。

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ー では、これからの人生で、自分に問いていきたい「しつもん」は何ですか?
 
「どう生きるか?」かな。
 
 
情報が沢山ある社会じゃないですか?良いことなんですけど、例えば、僕がこうしてしゃべったことで、経験をしなくても同じ学びを得られるじゃないですか?
 
 
けど、それだけでは薄っぺらいでしょう。なぜなら、それは知っていることで、やっていることではないから。僕は、それを生きているかが、とても重要だと思っているんです。
 
 
 

ー 「行動しているか」ということでしょうか?
 
今日も、偉そうなことを一杯言いましたけど、それは、僕が知っていることではなく、僕がやってきたことなんですよね。だから、色があるし、温度があるし、香りもあるし、リアルにここにある。
 
 
それが僕は大事だと思っていて、みんなにも大事じゃないかなって。
 
 
便利な世の中だからこそ、そんなちょっと泥臭いところが大切なのかなと思います。結局、リアルに生きていないことなんて、あまり自分を支えてくれないんですよ。
 
 
今日もそうですが、僕は講座などをする時も、時に準備をしません。それは手を抜いている訳ではなくて、毎日生きている時間や、これまで生きたきたすべての時間が、その準備の時間になっているので、あえて準備をしなくても、いつでもどこでも同じ話ができる。
 
 
僕のどこを切っても同じものが出てくるんですよ。僕は、そんな生き方をしていきたいなと思っています。

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自分が言っていることがやれているか?それが生きているってことなんですね。素敵ですね。
 
方法はいくらでもあると思いますよ。
 
 
「今できていることだけを生きるのもある」でも、それだと成長しないでしょ。昨日と同じ今日になっちゃう。
 
 
そこで、僕は旅に出たり、新しいことを始めることで強制的に「できる」を広げていています。先程の名刺の話じゃないけど、ちょっとホラを吹いてね。
 
 
なりたい自分を描いて、それに向って行動し、現実を合わせて行くというのが向いていると思っている。
 
 

「しつもん」っていいですよね。
 
 
どう生きていくのか。何を大切にするのか。何を美しいと思うのか。どうやって手にするのか。自分に質問することで、その一つ一つに対して、自分の答えを見つけることができますよね。
 
 
それは、親や社会に与えられた窮屈な常識的なものではなく、本当に心の底から沸き上がってくる大切な想い。
 
 
とても面倒で大変なことだけど、人生の中にあるひとつひとつに向き合い、自分の答えを見つけていくことが、自分を生きるってことになる。その対話を自分でしないとね。
 
 
まずは、自分に問いかけてみてほしいな。
 
 
「生きるってなんだろう?」ってね。

 

Mr. Shinsei Kawada

集客、問題解決、マネージメント、営業など、企業で成果が出た「しつもん」のノウハウをまとめて、「しつもん経営」としてプログラム化、多くの企業に提供している。また、企業でしつもんする「しつもんコンサルタント」の育成や、起業家の育成にも力を入れ、2017年4月「自分にしつもん」「部下にしつもん」「会議にしつもん」「お客様にしつもん」という4つの場面で、質問力を磨き、活用する方法を明解に解説した本、「革新的な会社の質問力」を初出版し、アマゾンのビジネス&経済部門で1位となる。


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