合田佳世さん

外務省 総合外交政策局 女性参画推進室 主査

Tokyo

【可能性を広げていくこと】

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自分の興味の赴くままに、流されるように、その時に声をかけて頂いたことをやる。

 

私自身、将来が不安でしたが、振り返ってみたらここまでなんとかきたじゃない、そんな生き方でもなんとかなる。

 

いまそれが自分の安心感になってきています。

ー 色々な国での経験を持ってらっしゃる佳世さんですが、現在はどのような仕事をされているのですか?

 

ざっくり言うと、日本の外交政策にジェンダーの視点を幅広く反映させる、女性の参画を推進していく部署に所属しています。途上国の女性の起業家を支援する枠組みや、女性に関する国連総会の決議をフォローしたりしています。

 

また、毎年、日本政府が開催している国際女性会議では、世界の第一線で活躍している女性たちが東京に集まりディスカッションをするのですが、その準備をします。

ー なぜ、このキャリアを選んできたと思いますか?

 

2つあって。一つは、そのバックパッカーをしながら行った途上国で出会った人たちが、違う人生を送るために“何か出来ないかな?私自身、何ができるのかな?”と考え始めたこと。

 

もう一つは、そう思って行ったイギリスの大学院で「ジェンダー社会学」をやろうと思ったことです。大学は法学部だったのですが、バックパッカーの旅でインドに行った時に、小さな女の子が物乞いをしているのにショックをうけた事を先生に話したら、それに役立つことをするには「開発学」が良い、それでイギリスの大学院に行ってはどうかと薦められたのです。

 

大学院では最初、一般の「開発学科」に入ったのですが、副専攻で取った「ジェンダーと開発学」面白くて。

 

それまでの開発は合っていたのだろうか、女性を置き去りにしていなかっただろうか、むしろ開発自体が女性をMarginalize(重要視しない)へ押しやっていなかっただろうかと研究がされ始めて、それが面白くて。

ー 佳世さんの経験からの「問い」と、世の中の流れの「問い」が重なったのですね。

 

この2点は強烈に覚えています。「これは私、学科を変えないと!」と思って、先生に変更の交渉に行ったのです。

 

 

 

ー 子供の頃から感じていた思いを一歩ずつ実現してきたのですね。そういう意味では最初に就職されたP&Gは少し方向が違いましたね。

 

迷走していますよね(笑)

 

大学院には社会経験してから入ってきた人が多く、卒業が近くになって相談をしたのですね。そしたら皆が口を揃えて「一度就職した方がいい」と言って、それで就職をしたのです。

 

シンガポールのP&Gに入ったら、仕事が楽しくって。

 

でも一年くらいしてこのまま行くか、やはり前から興味のあったことをやるかって考えた時があって、それで転職したのです。​

ー 2003年頃のシンガポールは、ちょうど変わり始めてきた頃ですからね。そんな場所が佳世さんへ与えた影響もあるのではないでしょうか。それで、軌道修正をして行った先が、NGO職員としてのメキシコ赴任なのですね?

 

シンガポールに行ったことは良かったと思っています。アメリカ企業ならの効率化、そのスピード感。社員研修がとても充実していて、会社のシステムを見ることができて良かったです。

 

それで一旦、日本に戻るのですが、いくつかお声をかけて頂いて、その中で、メキシコは行ったことがなくて一番面白そうだなと思った。

 

しかも女性を支援する仕事でしたので、それで飛び込みましたね。

ー そこから本来行きたかったキャリアのスタートラインに立ったのですね。その時どんなことを心に思っていましたか?

 

ワクワク感ですね。不安もありましたが、ワクワク感の方が大きかったです。

 

家族で話していた時に、祖母から「人に頼まれたことは大事にしなさい」と言われて、てっきりメキシコ行きを反対されると思ったのですが「行きなさい」って言ってくれて。

 

ー それが、おっしゃっていた「流れる様にいく秘訣」でもあるのかな?

 

今まで人に薦められていることを受けて来ていますね。それまでの私の働きぶりをみてそう思って下さったのは、嬉しいですね。そこに応えたいと思います。

 

ー 色々な女性を支援して行く。そして自分のキャリアもスタート。女性たちが独立して行く中での二つの接点には、どんなことがあると考えますか?

 

女性たちの可能性が広げるためにも選択肢がある一杯あることって大事だなって思って、行き詰まると選択肢がなくなってしまうじゃないですか?お金がない、気力がない、食べ物もないとなると、どんどん選択肢がなくなる。

 

突き詰めると私がやりたいのは「可能性を広げていくこと」。

 

同じ性別として女性には共感してしまうことが沢山あるから、世界中のどこの人も選択肢が増える。色々なことを学べば、より選択肢が増えると思う。

 

それは自分自身のことにしても選択肢を増やしたい。自分の能力を増やす必要があるから、また学ぼうとする。

ー そもそも選択肢が他にあることも知らないってこともありますね。そういう意味で選択がある者が「支援」して行くことが大事なのですね。

 

プロジェクトの予算とか規模によって、支援できる人数って限られちゃうのですね。インドで言えば大きな村でも3,000人程度。間接的に多くみてもその位なのですね。

 

これって世界の人口からしたら、ほんの一滴の水ほどなのです。

 

プロジェクトに携わっていると、プロジェクトのタームで考えて活動を行うので、凄く視野が狭くなってしまった感じがして。今やっている仕事は政策に関わることが多いのですが、もう少し視野を広げて関わりたいと思っていた時に、ちょうど今の職場の募集を見つけて働かせて貰っているのです。

 

例えば、国際会議を開催すると多くの人が参加するし、メディアをとおして影響を及ぼす数も違う。

 

これまでは政策から下りてきたものに基づいて仕事をしてきましたが、今は政策がどう作られていくか、全体像がようやく見えてきた感じがします。

ー 両方を経験していくことで佳世さんの選択肢も増えている。現場を重ねてやってきたということは、佳世さんの大きな強みですね。少し話が戻りますが、先ほどのNGO職員としてのメキシコ勤務から、今度はJICA(独立行政法人国際協力機構)でのお仕事へ。それはどのような流れだったのですか?

 

当時、NGO(特定非営利活動法人ICA文化事業協会)の仕事でメキシコやインドでのプロジェクトを担当していたのですが、ボリビアにポジションがあるけどどうかとお声をかけていただいて、インド事業を1年担当した後に、JICA (独立行政法人国際協力機構)のボリビア事業の担当を引き受けました。

 

ボリビアでは、総合農村開発事業に専門家として派遣されました。植林活動をしたり、農業普及復旧員の研修をしたり、プログラムを組んだり。農村に住んでいる半分は、女性なので、結局ジェンダーが関わってくるのです。農業研修にもジェンダーの視点を意識して入れました。

 

そのあとは、一旦日本に戻り、JICA (独立行政法人国際協力機構)のジェンダー平等貧困削減推進室という部署があるのですが、そちらで主に東南アジアにおける人身取引対策事業を担当して、その後、それが縁でベトナムで実際の事業にも携わりました。

ー それは大変なテーマですね。

 

被害者はほぼ女性。レポートを読んでいると感情移入しちゃうますね。

 

 

 

ー ひとつひとつ、もっと掘り下げてお話を聞きたいところですが、これまでの経歴を伺っていても、どれも大きな仕事に携わきたと思います。こういうポジションにいるというのは、やはりどこか選ばれた人だと思うのですね。もし、神様の様な、何か大きなものがあるとして、それが佳世さんの人生を通して、どんなことを動かそうとしていると思いますか?

やはり可能性を広げる、選択肢を広げるということに貢献できること。​自分自身という意味も含めてですが、私が能力を身につけることでまた可能性が広がることですね。

 

ー これをやって自分が広がったなと思うことはどんなことですか?

メキシコに行ったのは、人生の中でも大きな節目になったなと思います。

 

自分が若かったこともあって、それまで自分中心に自由に生きてきた。隣にいる人に何をしてあげられるかを考える、これはメキシコで出会った女性達に教わったことです。

 

まるで日本から友人がきたかのように接してくれるのですね。お家に呼ばれても「お母さん元気?」などと、本当に自然に自分が出来ることをする。

 

人として生きている。隣の人にできる優しさ。自分、自分だけでは、人生つまらないなって思う。

ー そういう人たちは、考え方のどんなことが違うのだろうね。

 

人に対して愛情を与えることによって、自分が嬉しくなることを、普段から意識せずに出来ている。

 

ー 私たちは、もしかすると「やるぞ」って意識してやっているようなことってあるかもね。

 

「支援」とは、どこかそういう側面が危険としてあるなと思っています。

 

自分がこういう風になって欲しいなって、こっちの立場で考えて相手に示してしまうので、気をつけていないといけないなと思っていて、選択肢を示した上で、「じゃ、あなたはいま、何をしたいですか?」その人にとったら将来はしたいと思っていても、いまは事情があってできないってこともあるから。

 

押し付けにならないように、その人が今やりたいことを支援して行く。

 

こちらの思い描く改善をやってほしいと思っていても、それがその人たちにとって本当に良いことなのかわからない。

 

メキシコ事業はまさにそれを学ぶ経験でしたね。​

ー 日本の中でも女性参画が高まる中で、これから私たち個々が、どんなところを目指して進んで行ったらいいのかな。どんなことを大事にして行ったらいいかなと感じていますか?

 

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない。」という言葉を何処かで聴いて。その時々によって「強く」に趣をおくことがあったり、やはり人間「優しさ」だなってそちらにフォーカスすることがあったり。

 

そこをバランスよく。

 

「強さ」って、行き過ぎると謙虚さや相手の立場を忘れてしまうし、「優しさ」も行き過ぎると過剰になって、人と自分との境界線を超えてしまったりするから。

 

そこの良い加減を保ちつつ。

 

プロジェクトをやっていて思ったのが、プロジェクトは凄く念密に計画を立てて目標も立てちゃうのですね。でも、プロジェクトって機械を組み立てるようなものではなくて、子育てのように実際にやってみないと何が起きるかなんてわからないことがあるのですね。

 

計画や目標を立てることも大事だと思うのですが、もうちょっと大きな懐を持って。人間の可能性って計画に縛られなかったりするから、もっと大きな枠で捉える方がいいこともあるかなと思っています。

 

大きな政治的な影響で、思いもよらない進歩や結果を生むことがあったりするので、2次元で捉えると限界がありますね。

 

良し悪しって、月日が経たないと分からなかったりしますしね。

ー どこに行くかわからないってことが「可能性」だものね。さて、これからの佳世さんの可能性、どんなことをしてみたいと思っているのですか?

 

今まで生きてきた中でも2、3年後が予定通りに行ったことはないので、わからないのですが(笑)大きな意味で「女性支援」をしていきたいです。

 

それ以外のことはできないというか。

 

どこでどんな風であるかはわからないけど、女性支援をしていきたいですね。

ー 子供の頃から描いていた思いがどんどん確信になってきているのですね。もし人生から自分に問われている「質問」があるとしたら、それはどんな問いだと思いますか?

 

向上しているか?

今十分に努力しているか?

 

自分自身に対しても、自分の能力を活用していく上でも、向上しているかですね。

 

ー これまで色々な国で働いてきて、そこからみる日本って、今どんなことを感じていますか?

 

最近のカルチャーショックで言えば、ベトナムから戻ってきて感じたのですが、ベトナムの平均年齢は27歳。私より若いのですね。それで、日本の平均は確か47歳。

 

なので、日本では逆に自分を若く感じてしまう。戻ってきて町の雰囲気からも、エネルギーの違いは凄く感じましたね。

 

ー 佳世さんのキャリアは、どの国でも立ち上がって行くエネルギーの中で歩まれてきましたね。

 

そうですね、それを目撃してきましたね。

ー これだけ広い範囲で経験を積んで行くと、私たち地球人としての視点でお話頂けるのではと思いますが、これからの人の「生き方」として、いまどんなことを思いますか?

 

いま、ペルーでのことが思い浮かびました。

 

地震の復興支援でペルーに行った時のエピソードなのですが、自宅が崩壊した女性達に、仮設住宅を建てるための研修を受けてもらい、資材を配ったのですね。敢えて女性を対象に支援したのです。

 

支援で資材を配ったりすると、盗まれたとか問題が起きることがあると聞くのですが、そんなことも一切なかった。

 

研修をうけた女性リーダーを中心に、グループに分かれて助け合って作って行くのですが、どのグループの女性リーダーも皆、自分の家を建てるのは一番、最後だった。特にそのように指示もお願いもしていないのに、どのリーダー達も他の家が出来たことを見届けてから自分の家に取り掛かる。

 

もう本当に感動しました。

 

事業が終わる終業式の時に女性達から色々とお話を聞いたのですが、それで、前の日に、明日事業が終わってしまうけれどこれから何をしようってみんなで話し合ったそうなのですね。その中の一人が「明日からも、私たちは世界を変えて行くのよって!」そう言ってみんなで笑ったって。

 

それを聞いてもう涙が止まらなくて。人間って強いなって。

 

震災で全てを失った女性たちが笑って、そんなことを言うのですよ。何もなくなった時に、その人の真の強さがでる。こんな時にどう人間の底力を保つか、どう家族を支えるかを教えて貰いましたね。

 

ー 誰に言われるわけでもなく、各リーダーたちが一番自分を後回しに?本当に底力ですね。恐らく自分たちで家を建てたということが、凄い自信になったのかもしれませんね。

 

そんな状況下で私たちにご飯を作って、呼んでくれるのですよ。その食事を作るために火を起こすのですが、それは崩壊してしまった自分の家の木材を使って。

 

それが衝撃でした。なんて言葉をかけて良いか分からなかったです。

 

必死に生きている。まさに生きる力ですね。そういう出来事がこれまでにも一杯あって、すべて財産です。

 

ー ぜひ、エピソードを本にしてください。伝えるということも選択を広げるということですもの(笑)

 

女性ひとりひとりが家族と話し合って、支援事業に参加することを選択してきてくれる。泊まり込みで研修を受けて、自分たちで立ち上がっていく。

 

選択肢を掴んでいく。

 

事業が終わると報告書には「家が建ちました」としか残らないのですが、そこにはそれ以上のものすごい影響、可能性があるのですよね。

 

ー なんども佳世さんから可能性という言葉が出てきていますが、「支援」とは、可能性を一緒に見つけていくということなのね。

 

必死で生きている人たちは、賢くて強い。

 

「支援」と言っても、自分がやれることなんてたいしたことがないのだなって思います。いつも思うのが「支援」という言葉が、、、他に何か良い言葉がないかなって思っています。

 

ー 近年日本でも想定外の自然災害が続いて、これまで以上に助け合って生きて行くことの大事さを感じますね。

 

まず自分に対して優しく、自分が幸せだと人にも優しくなれる。

 

「発展する」というだけではなくて、人に対して優しくなれば、みんなが住み易い、どんな状況の人にあっても、どんな立場の人にあっても、優しい世の中になっていける。

 

人としての優しさを、もうちょっと思い出していきたいですね。

 

ー 佳世さんのように支援活動をしている方達がいるから、自分がこんな風に多くを考えずにいられるのだなと思いました。優しい世界にしていくための活動は、本当に大切なこと。無くしてはいけない活動ですね。

 

必要じゃなくなることが、世界にとって一番いいのかもしれませんね。

Ms.  Kayo Goda

東京在住。P&G アジア支社、特定非営利活動法人ICA文化事業協会、独立行政法人国際協力機構(JICA)等を経て、現在、外務省総合外交政策局女性参画推進室にてご活躍中