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小林大輝さん
小説家
Tokyo

【芸術とは一番優しいテロリズム】

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自分とはこういうものだと決めつけてしまうより、何にでもなれると思いたい。

 

これだって決まってしまうと退屈というか、しんどくなる。小説家としても、生き方としても。

 

「表現する」ということは、何にでもなれるということだと思う。

ー 何にでもなれる。逆に、小林さんのおっしゃる小説家の何にもなれない状態とは?

 

「これはスゴイ作品だぞ」と自我があるときは「小説」ではなく「俺」が出てしまているじゃないですか?

 

そうすると「小説」は、引っ込んでしまう。だから、できるだけ自分を消す。

 

「俺」が出ているときは、まず書けません。

ー 物語を考えて、「よーし書くぞ」って向かって書くのではなく、小林さんは「消す」ところからなのですね。

 

例えば、役者が芝居をする時に自分が存在してはいけないのと似ているかも知れません。

 

そんな時は、散歩などをして、自分が消える作業をします。小説という世界に、それ以外の必要な情報を入れない。



 

ー 前にお会いした時にも感じたのですが、独特な言葉や言い回しが素敵だなって。それは小説を書く以前からあると感じるのですが、それに結びつくようなエピソード。いま、どんなものが浮かびますか?

 

多分、みんなあると思うのですが、いつも言葉に「手触り」を感じるのですよ。

 

この言葉を言おうとするとチクチクするとか、頭がスーッと通るとか、言葉ごとにそれぞれ感覚がある。

 

自分が思っているのと違うことを言ってしまうと、喉の奥がつまるからスッとすることを言おうとするんです。

ー なるほど、言葉の体感。それは子供の頃から?

 

多分、そうかな。

 

例えば、海外に行くと文化が違うから、自分の説明が上手くなると思うのです。共有されている常識が少ないから、よく説明をするようになる。

 

ただ、僕は日本人で、日本に居るのによくそれが起きるような気がする。

 

なんかね、なんかね、伝わらないみたい(笑)

 

なんか感覚が人とズレるみたいで。そのままだと気持ち悪いから、よく感じていることを説明をするようになる。

 

いま思い出したのが、父が単身赴任でドイツに居て家族で遊びに行った時、ドイツ滞在1日目に「鳩が違う」って僕が家族に言ったのです。

 

日本の鳩と違って、堂々としていて、群れてなくて、近づいても全く動じない。

 

でも「鳩なんてどこも同じだろ」って笑われて。そしたら、1週間して僕らが帰る頃になって父が「鳩が違うな」って言い出して。

 

「だから、言っただろう」って、そんなことばかりです(笑)



 

ー きっと観ている所が同じであっても、その箇所、奥行きみたいなものが違うだろうね。小林さんが小学生の頃は、どんなお子さんだったのですか?


 

よく動く子でした。あと、とにかく声がデカイ。

 

丘一つ超えた先のグラウンドからでも、聞こえてくるほどって言われていました。(笑)

 

今でもそうなのですが、パッと景色をみた時に、みんなが気づかない豆粒のように小さな蜘蛛に目がいくような感じでしたね。

 

今から思うと観察が好きだったと思う。

 

中学生になる前に右腕を複雑骨折して、一時期バスケットボールが出来なくなって、その後もさらに出来なくなる事件が起きるんですが。

 

この一回目の挫折で「なんで生きているのだろうか」と、物事について自分で考えるようになった。

 

それまでもぼんやりは思っていたけど、明確に考えるようになったのはこの頃です。

 

丁度その頃「BUMP OF CHICKEN (バンプオブチキン)」という日本のロックバンドを知って、初めて日本語に衝撃を受けました。



 

ー 日本語の衝撃?

 

言葉って「美しかったのだな」って。

 

初めて音楽で泣くということを覚えた。



 

ー 先ほどの言葉の手触り感かな。

 

屈折とか挫折をしたときの方が、新しい発見がある。

 

喜んでいる時よりも、「なんか無くなっちゃったよ」と思っているときこそ、発見がある。

 

僕の25年間ではそうだった。



 

ー 確かにね。辛いことこそ、みたいな。

 

小説は脱皮した蛇の殻みたいなものです。作者が精神的な飛躍、成長を遂げるときにその過程で生まれるような気がしています。

 

それを成す時に、作者は小説を使うのだと思います。

 

なんだろう? 小説は「宝物」ではなくて「排泄物」なのでしょうね。精神的な変化を起こすとのが小説を書くということで、それを経て「新しいワタクシになりました」という感じ。

 

小説を書いた前と後で、作者になんらかの変化が起きていて、それが起こらないと、書くことが進まない。

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ー 書くことで変化しながら何かを脱ぎ捨てるとすると、その前にある小林さんの中にあるもの。それはなんだろうって興味がある。その湧いてくる泉のようなもの。

 

書くって技術ではなくて、共鳴することなのですね。

 

僕は関西出身なのですが、自分が書いていて「せやなぁ、ほんま、せやな」って腹の底から頷けるか?これが、書けるか書けないかの大切な基準なのです。

 

書けないときは、「この人はどんな人だろう」って登場人物を思い浮かべて、「せやな」って思えるようになってから書く。



 

ー 前に話した時に、2つすごく響いた言葉があって。その一つは、「書くとは、『なぐる』こと」ボクシングのポーズ付きでお話くださったのですが、この「なぐる」とは、どんなことを指すのですか?

 

文章は「書きなぐる」もので、その中でも「なぐる」方が重要だという話ですね。

書くという行為自体が自分にとっては一種、攻撃性の発露なんです。

 

何か言いたい事があるということは、たとえ微量であっても、そこに何らかの反抗があると思っています。

 

すべてに納得がいっているなら、人は何も喋らないはずだから。

 

中学、高校の頃、腰を痛めてほとんど寝たきりだったのですが、その頃に思ったことをノートにずっと書いていました。

 

多い時は一日に一冊書いていた。

 

自分でもまだ腑に落ちていないのですが、小説は論理で書けなくて、論理じゃないイメージの方に持っていくと自然と出来上がっていきます。

 

例えば、いま「怒る」を表現する場合に、「火山のように怒る」と書くより、その火山の噴火様子をありありと描写した方がより「怒っている感」がでる。

 

ここに火山があって、その火山の麓に小さな村があって...。論理じゃなくてイメージの方を追う。イメージは必ず感情を伴うので、それを言葉にしていく。

ー なるほど。小林さんの著書「Q&A」を読み始めました。まだ少しですが、今のようにイメージを追うところが、美しいなって思った。

 

僕の中に、非常に論理的なところがあるから、それを破壊したい。

 

それが「なぐる」ってこと。

 

まとめる時には、「書く」という論理的思考は大事なんだけど、出す時は一旦それを破壊して「なぐる」。



 

ー そのロジック、ご自身のメソッドというのかな。それに気づいたのは?

 

高校1年生くらいの時かな。

 

怪我をして体を動かせないので、日記を書くことでストレスを発散したくて、文章を綴ってどうスッキリするのかを考え始めました。

 

最初は気持ちが楽になるためだけに書いていました。

 

結局、論理的にいくとダメなんだとわかったので、連想することにしたんです。ストロー......、吸う......、蚊......、田んぼに行った夏の日......。

 

単語を並べていくと、人には意味がわからなくても、自分なりのイメージが湧いてくる。

ー はい、わかります。

 

これは凄いことを発見したぞ、とひとりで思っていたら、後で知ったのですがカール・グスタフ・ユング(精神科医)の「言語連想法」という名前がもうついていて。

 

深い無意識のものを引き出す時に、単語を言っていく方法と同じことだった。

 

俺の発明じゃなかった(笑)



 

ー (笑)それは小林さんの発見ですよ。

 

表側の論理?

 

みんなが使っている論理の内側で動いているもの。その地下に何かがある気は、ずっとしていた。

 

心理学とは、人のやっていることにこういった裏の意図があるよみたいなことで、自分が言葉を使っているときに発生してくるもの、「言語発想法」とか、凄く腑に落ちた。

 

だから、書くときの「なぐる」が大事って言ったのも、書くのは上の方もの。「なぐる」はここで、下(腹の奥)から上がってくる。

 

大体のものは、この下、地下からやってくる。

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ー その下には、何が溜まっていたのだろうね?

 

うん。僕ね、これは想像ではなくて、単純にそういう状態に陥ったからなのですが、老人の体の状態がわかるのです。腰をやられたから。



 

ー バスケットボールで、体を痛めたとおっしゃていましたね。

 

問題なほど、コーチが厳しくて。僕は1年生でレギュラーで戦力だったのですが、目をかけている子ほど、コーチはキツクあたるみたいな。

 

どんどん追い詰められて、あまりにもしんどくて休もうとしてもサボるなって言われて、学校の他の先生に相談しても、誰も助けてくれない。

 

もう何処にも行きようがなくなって、心が大変なことになってしまった。

 

高校も卒業認定だけ持っていて事実上、中学3年生くらいからあまり学校へ行っていません。7年間、怪我に苛まされた。

 

それから精神もよくない状態がずっと続いて、自殺も考えました。

 

22歳の秋。

 

なーんもできない俺に、何かできることがあるかなって思った時に「小説を書こう」と思ったのですよ。



 

ー そうだったのですか。そんな中でどんな風に自分を持っていけたの?

 

廃人のように過ごしていたので、それでもせめてなにか出来ることはあるかなって思った時に「書こう」って。

 

それで、ちょっと書いたものを家族に見せたら「こんな面白い話が書けるのか」と驚いて喜んでくれた。

 

それで、ちょっとだけ人間としての尊厳を取り戻しました。

 

それから「 Pixiv -ピクシブ-(文芸大賞)」というのを知って、せっかくだからここに出してみようって。

 

色々試しに書いたのだけど、規定が8万文字で締め切りの2週間前になっても、一つも完成なくて。

 

でもその時に、「ここで書けなかったら、一生後悔する」と思った。

 

一個だけ切り札があったんです。それは自分の想像の中で一番面白い、その器が大きすぎて今は書けないのだけど、これを引っ張ってくるしかないと思って。

 

その一部の要素を切り取って、物語を書く決心をしました。



 

ー それが締め切り2週間前に?

 

はい。そのときの自分の実力では8万文字は仕掛けがないと書けないと思って。

 

「Q&A」という形式と題名にしようと頭の中で思った瞬間、「書けるな」って感覚が掴めました。

 

それから10日間くらい、ほぼ寝ず食べずに書いて、締め切りの最終日に投稿しました。

 

それから最終選考に残ったたと連絡が来て。

 

その数ヶ月後に、ピクシブ文芸大賞、テレビ朝日賞のW受賞で、映像化と幻冬社からの書籍化が決定しましたとご連絡がきて。

 

それで、小説家になった。

ー 待っている間は、どんな思いでいたのですか?

 

その時も、短編の小説を書いてました。

 

待っている間思っていたのは、書いている時の確かな手応えと自分が心から良いと思った作品を書けたのだから、賞という他人の基準に頼らなくても、僕はもう大丈夫だって思った。

 

だから平静だった。

 

書き終えた時の、やりきった感の方が嬉しかった。



 

ー そっか。だから小林さんは書き続けていたのですね。

 

一つの作品として出来上がったので、これはこれでよいのですが、もともとはもっと大きな物語を書きたかったので、ある意味では未完成。

 

まだまだゴールは先。

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ー もうひとつ。前にお話した時に感動したことが、「小説家は聴くことだ」とおっしゃったことなのですが、この意味は?

 

そのまんまです。

 

小説を書くときに一番モデルとして役立つのが「音楽」です。

 

音楽には不協和音があって、それを弾くと気持ち悪いじゃないですか? 僕の考えですが、小説も自由に見えて、不協和音のようなものがあると思っています。

 

ここにこれを書くと、綺麗に響くというような、なんらかの秩序や制約がある。

 

それを探す。



 

ー 流れや登場人物ということですか?

 

自分ではこれを「コード」って、呼んでいるのですけど。

 

言葉を置いた時に、気持ち悪い時とスッキリする時がある。ちゃんといい音が鳴るように言葉を並べると、勝手にその次の言葉が出てくる。

 

人が決めたことは「法」じゃないですか?ではなくて、この世界の「理」みたいな。音楽にドから始まってドで終わるという仕組みがあるのと同じような。

 

小説を書くことは、そこから外れないことだと思っています。

 

頭で考えて、読者にとって面白いようにとはいつも思うのだけど、根本的な作業としてはその物語のコードに対してずっと訴えかけている。

 

だから小説は正直なんですよ。書くのが止まる時は、だいたいいつも僕が間違っている。勝手なことをしているからから小説は、嫌になっちゃったんだって思う。

 

だからどんなに頑張って書いていたと思っても、間違っていたらやり直す。



 

ー 理解するのは私には難しいですが......。ただ、インスパイアされたのは、人の生き方に似ているのかなって。不協和音になると先に行けないみたいな。

 

まだまだ僕は小説家として未熟ですが、一枚の紙の上で空間、世界を作る作業をするつもりでやっています。



 

ー 小説って、壮大です。さて、小林さんはこれから、どんな活動していきたいなって思っていますか?

 

やり方はまだわからないけど、日本の教育だろうか.....。



 

ー 教育制度にということですか?

 

子供達に何かをしたい。学校の仕組みが問題だとしても、そこで働く教師の人も大変だから、逆にそちらも助けなければ。

 

だから、そもそも世の中を変えたいとかよりも......

 

僕がしんどかった時に、手を差し伸べる人がひとりでも学校の中に居たり、逃げられる場所を与えられる人がひとりでもいれば、それだけで違っていた。

 

社会の仕組みがどうのこうのというよりも、その一本の手が差し出されるかということ。自分が「その一本の手」になれるかどうかということが、僕の課題であって。



 

ー みんながいま必要なことだね。小説家としては、如何でしょうか?

 

もう一つやっていきたいのは、「パーソナルな小説を作る」ことです。

 

出版するとなると、如何に大衆受けするかを編集さんに求められます。ただ、それだけをしていると、自分の芯がなくなってしまう。

 

小説を作る上で、読む人にとって本当に何か訴えるものが無いと、小説家として成長できないと思っていて。

 

そんな時に親しい知人から、義理の息子さんをモデルに小説を描いて欲しいと依頼を受けたのです。



 

ー それは、インタビューをしてその方の物語を書いて下さるの?

 

自伝や事実ではなく、ひとつの小説にします。

 

物語には、その方の要素が散りばめてある。個人的な経験が、僕を通すことで新しい物語になって出てきます。

 

 

 

ー 自分の小説だなんて、素敵です!

 

今回の依頼で「植物癒しと蟹の物語」という物語を書きました。少し冒頭を読みますね。

 

「はじめまして。僕は、人が沢山の住む街で植物癒しをしています。

 

植物癒しとは、枯れそうな植物をちょっとだけ元気にする仕事で、水あげたり肥料を土に与えたりするのとは、また少し違います。

 

主に植物の話を聞くのが大切なことなのです。

 

もうちょっとだけ丁寧に言うとすれば、元気になろうとする元気すら無くしている心に、寄り添う仕事です。

 

僕はこの仕事に誇りを持っています。

 

植物というのは人の言葉を喋りませんが、人の言葉に込められた思いや考えを深く理解して、ものすごく丁寧に聞いています。」

 

これは依頼者さんの職業がスクールカウンセラーだったので、その要素を含んでいるキャラクターを主人公にしようと思って書きました。

 


 

ー いいですね!植物のもつ優しいイメージがマッチしていい。では、最後の質問となりますが、私の活動名の「H SEEDS」。これはハピネスやホープのタネ。もし小林さんが「この人生で撒いているタネ」があるとしたら、それはどんなものだと思いますか?

 

「在る」です。

そもそも、あなたも「在る」。僕も「在る」。



 

ー そして、一本の手を差し出し合う社会になれたら。

 

そもそも社会にはそれが不可能だから、芸術があるのではないでしょうか?完全な社会、ユートピアだったら芸術は生まれないと思います。。

 

だから「芸術とは、一番優しいテロリズム」なのですよ。



 

ー おー、なるほど。じゃ、表現のために苦しむのもいいのだね。

 

はい、苦しんでいる、そっちが人間ですから。

 

だからこそ、何か(表現)できる!

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Mr. Hiroki Kobayashi

小説家。ピクシブ史上最多応募作品数の中から受賞し、幻冬社より「Q&A」を出版。2018年、竹中直人さん主演でテレビ朝日にてドラマ化。韓国版も出版される。

現在、次なる小説を制作、パーソナル小説も展開・依頼者募集中。

Twitter:https://mobile.twitter.com/8cjIB10un5QAC2g

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