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若林憲司さん
Sakamoto Educational Systems Pte Ltd Managing Director
singapore

【論理的思考という裏付けがあれば前に進める】

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96年10月にこちらで事業を開始して、事業すると言ったって、そもそも生徒が一人も居なかったのです。最初からシンガポール人がターゲットでしたので、シンガポールの塾を買収して始まったんですね。
 
 
とはいえ、誰も算数塾SAKAMOTO式のことは知らない。ビラを配っても全く問い合わせは入って来ない。
 
 
どうしようかと悩んだ時に、そのとき受付をして下さっていたシンガポール人が、「日本から来た先生がいるんだけど、生徒が誰もいない。なんとか助けてやってくれないか」って、周りに頼み込んで下さったんです。
 
 
それでやっと、最初の一人の生徒が来たんです。
 
 
こちらの子どもたちは、外国人先生には慣れているので抵抗は無かったようですが、私も来たばかりで上手く英語で伝えることが出来てなかった。やっと3ヶ月くらい経って成績が上がる様になった頃、そのお母さんが口コミで広げ始めたって感じでした。
 
 
だから、その最初の一人の生徒を見つけるまでが、本当に大変でした。
 
 
 
Q. それはどの位かかったのでしょうか?
 
かかりましたね。10月に始めて、翌年の2月、3月頃ですね。経費ばかりかかって、何の売上げもない状態でした。
 
 
 
Q. いまは振り返ってみて、どんな事を感じていますか?
 
いま振り返ってみると、20年たってシンガポールの町がもの凄く変わったのを感じています。それと親御さんのタイプが変わったなと感じています。
 
 
来た頃には、小学校4年生になると、3つのコースを分ける試験(EMTS)があったんですね。この制度上は、途中でクラス変更は可能なのだけど現実はない。このクラス分けで、その先の進路が決まってしまうと言われていた。だから、真剣な親御さんばかりでした。
 
 
SAKAMOTO式は学校で教えるやり方と異なるので、こんな無意味なものと言って怒ってしまう親御さんもいましたね。本当に差し迫った親御さんが多かった。いまはシンガポールもそのEMSTが廃止となり、6年生になって行うPSLE(小学校卒業試験)という制度になり親御さんも変わりましたね。
 
 
2003年から、SAKAMOTOブランドを上げるために算数のコンペティションの企画をやろうと、海外のマスターフランチャイズからの協力を得て始めたんですが、それも定着してきて親御さん達が認識を持ち始めた。
 
 
そういう意味でも、環境が変わりましたよね。
 

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Q. ご自身の中では、どんなことが変わったと思いますか?
 
来た当時はね、日本人の友人が一人もいなかったんです。
 
 
住んでいる所はHougang(シンガポール北東)という所でしたし、オーチャード周辺(シンガポールの中心)に出るには「111」番のバスに乗って、1時間ほど揺られて。唯一の楽しみが、週末中心まで行って日本食を食べて、またバスに揺られて、真っすぐに帰る。そんな生活でしたね。
 
 
ですからね、自分の環境がそうですから、考え方が完全にローカライズされていくんです。
 
 
 
Q. そうなんですね。なぜ、シンガポールに来ることになったのですか?
 
日本の小さい塾でしたからね。やがて少子化は必ず来ると思っていて、塾業界で生き延びるのは、大手塾だけだろう。じゃ、子どもがいるところはどこだろうって考えた時、「アジア」だろう。
 
 
そう思って色々と調べた結果、教育レベルが一番高いのは、シンガポールじゃないかと。ここだったら地理的にも、近隣の国にもすぐにいける。
 
 
 
Q. なるほど。子どもの人口が増えているのは、アジアだと。
 
最初、市場調査の時点では、日本人向けの塾を考えていたんだけど、先行の塾がすでにあって、しかも、これから日本人の子どもの人口が
増える見込みはない。だったら、アジア人に向けてやろうと変えたんです。
 
 
しかも普通、日本企業が来るとラッフルズとかCityエリア(ビジネス街)で起業を始めますが、完全ローカルな場所、しかも「Hougang」という所を選びました。
 
 
 
Q. ニッチなところに進む事に対して、不安とか無かったのでしょうか?
 
日本人をターゲットにする方が、不安だと思いますよ。受験を対象にした塾ですと、他の科目を教えないといけない。自分の専門は、一科目だけですから「算数」だけで他の塾と勝負するのは、かなり難しい。
 
 
 
Q. なるほど。
 
実は一度、日本人生徒も募集したんですね。日本人の方は、Hougangという離れた場所には来ない。なので、町の中心のセミナールームを借りて、SAKAMOTO式のプレゼンテーションをしたのです。
 
 
8家族がいらしてくれて、全員その場で申し込んでくれたんです。
 
 
ところが教えて直ぐ分かったのが、みな転勤がある。これがあるんじゃ、年がら年中生徒の募集していないとならない。これじゃ、採算があわないと思って、当時入塾して下さった8名の中の最後の家族が引越されたのを機にやめたんです。
 
 
その頃には、ローカルの方達へ始めていたので、この選択は正解だったと思う。
 
 
 
Q. 確かに、みなさん一定期間で戻られますものね。
 
今は逆にですね。ローカルの中に日本人の方に「入りませんか?」と。
 
 
授業は英語、先生も英語で教材はシンガポールのSyllabus(シラバス)が入り、ただし、指導のノウハウは、日本の中学受験のノウハウが入っているので。そうご案内しています。じわりじわりと日本の方が増えています。
 
 
 
Q. へ〜。逆に増えているんですね。
 
はい、徐々と増えてきました。いまの小学校1年生の子どもが、日本で大学受験をする頃には、英語で問題も書かれる時代に入っていく。これは日本の文科省も、もう決めているようで、数学の問題を、英語で出題する。
 
 
シンガポールなら恵まれた環境ですよね。「折角だったら、今から算数も英語で学ぶのは如何ですか?」とお伝えしています。
 
 
 
Q. これまで伺って感じたのは、日本の企業がこちらに進出する仕方と、若林さんがやってこられていたのは凄く違うんですね。

 
まるっきり違いますね。日本人の知り合いが増えたのは、ここ2、3年ですよ。

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