
Art of Lifeとは、生き方という意味。
インタビューで発せられた想いを
そのまま起こすスタイルにしています。
世界で活躍する人達の
生き方をテーマにインタビュー
~Art of Life Interview~
ひめのあみさん
フリーランスウェディングプランナー&
しつもん経営コンサルティング
Kanagawa
【覚悟】

フリーランスになってから、初めて自分を生き始めたと思いました。
そして、これまでの苦しみは、人を理解するためだったのだと思える様になった。
選択ができた自分って、自信になる。自分がそう思えたから、みんなに伝えたい。
ー あみさんは、現在、どのようなご活動をしているのですか?
フリーランスでウエディングのプランニングをしていますが、2年前に東京に来てからは、フリーランスで働く人へのコンサルティング、またその育成です。
自分の価値を見つける、またそれを伝える方法がわからない。または、商品は持っています、理想のゴールも見えています、でも、そのプロセスがわからないという方の組み立て、仕組みづくりのサポートをしています。
すでに持っている技術を養成する講座を作るなど、運営、活動の裏方支援です。
ー それまではウエディングプランンナーとしてご活躍していたのが、どんなことから東京で、この二つ目の仕事がスタートしたのですか?
東京に来るときに、確約した仕事があったわけではないのです。大分に居れば、それなりに生活が出来る、その流れは出来ていた。
でも、もっと色々な世界を知りたいと思った。
自分の周りにいたフリーランスの人たちが、意外と悩んでいる人が多くって、よく相談に乗っていたのですね。それまではお話を聞く程度だったのですが、もしかしたら他に出来る事があるんじゃないかなって思って。
とりあえず、自分のアップデートを兼ねて東京に出てみよう、環境を変えることで見えるものが変わるんじゃないかって思って来ました。
ー なるほど。それまでのウエディングプランナーは、どんな事からスタートされたのですか?
大分で高校卒業後、一般事務職をしたのです。月のお給料が2桁万円いくかなってところで、仕事量もとても少なくって、こんな働き方嫌だなって思って。
もっと自分を出せる、人に役立てる仕事はないかなって。
それで、そこを辞めてホテルでウエイトレス、車屋の受付、パン屋、あとはね、、、なんだろう、もう10は超えた程色々やった。当時、ずっとお付き合い人がいて結婚することになっていたので、アルバイトを転々としていたのです。
それが、結婚が破談になって、それまで貯金も使ってのバイト生活だったので、もう全部、無。25歳の時、何もなくなちゃったんです。
破談になる少し前に、育ててくれたおじいちゃんが認知症とわかり、その介護生活中に破談。身内の借金問題、自分で払うしかないことになって。
周りは婚活とか言ってましたけど、それどころじゃない。自分の生活で必死だった。当時、私の人生は、このままで終わるんじゃないかって思っていた。
ー そうだったのですね.....
もう、抜け殻みたい。
でも、それって全部自分が選択していたの。依存していた訳じゃないけれど、そういうサイクルに自分がハマってしまっていたことに、どん底ながらもふっと気づいた。
このまま終わるのは、絶対に嫌って思った。これをバネにして、絶対に這い上がってやると思った。(笑)
ブライダル業界には、以前から興味があったのですね。ただ、社会経験もない高卒では出来ないと言われていて。そしたら、たまたまある会社が”高卒可”とあって受けてみたのです。
最後の面接の時に社長に聞かれたのが、「こんなに仕事を転々としてきて、なぜブライダルの仕事なのですか?」と聞かれて、「ブライダルの仕事は、その場所に関わる人が皆、笑顔になれる。当事者もそうですが、ご参列される人、スタッフもみんな笑顔になれる。そんな中に入れるなら、私とっても幸せです!」といったら握手されたので、それで雇ってもらえました(笑)
ー その若さで本当に色々なことがあったのですね。それで笑顔のある仕事へ。
そして、4年ほどお勤めして、フリーランスとして独立しました。
多くの人が独立していく理由は、雇用されていると限られた場所の中で、出来ることと出来ないことがあって、その中でのジレンマで独立されて行くのですが、私は全然違っていて。
そもそも、結婚式をやらないを選択している人に繋がりたいと思ったのです。

ー 普通に考えれば、お店に来てくれそうな方達へのサービスを考える。でも、来店しない方へのサービスに目を向けたのは、どんなことからですか?
自分自身の仕事で、色々と模索している中で、「結婚式」の良さを再認識することがあったのです。
以前、私が担当した結婚式にご参列された方が、その時の式がとても良かったので、ぜひ、お願いしたいと依頼を頂いたのです。その時のご夫婦も参加されるという事で、その再会も楽しみにしていたのです。
それが式の数日前に、急にこのご夫婦の参列のキャンセルの報告があって、その後、ご参列するはずのご夫婦の旦那様が急に亡くなられたと聞いて。まだ結婚して3年ほどで、お子さんも産まれたばかりで、私も気が動転してしまいました。
その後、しばらく連絡出来ずにいたのですが、勇気を出して連絡をし、会いに行ったのです。そしたら、奥様が「あの結婚式があったから、私、頑張れます」と言われたのです。
この言葉を聞いた時、私すごい事(ウエディングプランニング)をさせて貰っているんだって、初めて感じたのです。
どんな思いでその結婚式を作っていたのかの方が大事で、それがあるから当日楽しめただろうし、そういう気持ちにさせるものが届けられるのなら、プランナーとして本望だな、結婚式の魅力を再認識したのです。
そう考えた時、結婚式をしたいのだけど、どうしたらいいかな、周りの声によって、諦めようとしている人たちの、何か救いの手になったらいいなと思って。
ー 確かに、結婚式というのは人生の大きな節目、出来事。だからこそ、どうするかと悩む事も多いね。
結婚式という形にこだわった人が多い。
私は目に見えないものを大事にしたいから、どんな空間でもその人たちが大事にしている事が見つかれば、その人達らしい結婚式が出来ると思うのです。
ー まさに私がそうでしたね。やらないと決めていたのだけど、二人で話しているうちに、そもそも結婚式って誰のためにするものなの?って。だから、結婚式の話し合いでは、喧嘩もするのよね(笑)
それでいいんです。喧嘩って言い方がよくないけどね(笑)
相手を知るって事って、自分を知る事じゃないですか?相手の価値観って自分に無いもの。その無いものを知る事で、自分の幅が広がると思うのですよ。
自分の幅を広げていかないと、家族って上手くいかないと思うのですよ。
私はおじいちゃん、おばあちゃんに育てられているから、普通の家庭のイメージはちょっと薄いのですが、皆それぞれの環境下でどんな言葉を貰って育ったか、そんな上で物事を判断していく。
結婚式は、それら全部、ひっくるめていかないとならない。
悩む気持ちも、不安になる気持ちもわかるし、だから、いいんだと思うし、だから、ウエディングプランナーとして寄り添いたいと思う。
そういう仕事の仕方がないかなって思った時に、フリーランスという働き方を知り、もし私が手をあげたら、結婚式を選ばなかった人にも届くかもしれない。

26歳で人生に覚悟を決めてから、どんどん流れが変わって行ったんです。
自分で独立するなんて思ってもいなかったし、当時、高卒で起業している人って周りにはいなかったけど、独立した事で自分の人生がガラッと変わった。
最近は、この「ウエディングプランナー」という言葉もあてはめられないなと感じるほど、人生観が変わる大きなもの(仕事)だと思っています。
ー 独立して7年目となったウエディングプランニング、そして、周りの相談に乗っているうちに始まったフリーランスのサポート。この二つの共通点はどんなことだとご自身では思っていますか?
「想いを吐き出させて、整理してあげる」
結婚式ができないと思っているのは、思い込みや常識に囚われていたり、ブライダル情報誌のイメージが強くあって、ドレスって高いでしょうとか。
今ある知識で、諦めそうになってしまったりする。
フリーランスも同じで、色々な起業セミナーに行ったり、コンサルティングでこうすればと言われた、あれもいい、これがいいと言われたと、情報が多過ぎて動けなくなっている。
なので、状況は同じなんですよね。
それを吐き出させてあげて、因数分解なんですね。
ー なるほど。その上でのあり方としての演出という点も、この二つは似ていますものね。
周りじゃなくて、自分がどうしたいのか?未来はどう見えているのか?
なりたい未来の自分がいるけど、そこに行けなくて苛立ったり悲しくなったり、不安だったり。持っているものを全て断捨離して、それを何度も重ねていく事で、本当の自分の気持ちを見つけていく。
物事、一度自分で整理しないと先に進まない。
そこに共通点があると思います。
ー 両方の仕事をしていて、どんなところが一番楽しいですか?
その人の価値観を知ることが楽しい。
最近は、経営者と打ち合わせをすることが多くて、とはいえ、指示もアドバイスをする訳でもないのですが、自分が何かに悩んでいる時に、本当にそれでいいんですか?ともう一度問われることで、自分の軸に戻れると仰る。
その安心感があると言われた。
そう思って貰えるたことは、とてもラッキー。あれ?質問、なんでしたっけ?(笑)
ー いいよー(笑)両方の仕事をしていて、どんなところが一番楽しいですか?(笑)
こんな風に(手のひらを並べて)横並びの関係になった時に、すごく嬉しくなる。
どんな世界を見ているの?むしろ、教わりに行く感じで、そんな時が楽しいです。
この前お客様に言われたのが、距離感があると言われたのですね。
最初、否定的に捉えたのですが、これはいいフィードバックだと思って。よく考えたら相手の選択肢を奪いたくないので、確かに距離感はとても大事にしています。

ー そのためにもあみさんが大事にしていることは?
先入観を持たない。
相手のタイミングを待つ。
人が何か行動をするときは、やっぱり勇気がいると思うのですよ。ちょっとでも変わったら自然と進み始めるから、そのきっかけだけ。
それから、選択肢はあげる。自分がされたら嬉しいことを「やる」を、大事にしています。
ー 初めてあみさんにあった2年前と比べて変化を感じますが、ご自身としてはどんなことを感じていますか?
あの頃は、色々とチャレンジしたくて、色々と模索していた。やっと見えてきたかなってところで動き始めたした。
あっ、でも、東京にきた時は何もないのですよ。(笑)何も決めてなくて「行きたい!」という思いだけで来たのです。
ー それは大きなチャレンジでしたね。
だって、失うものないじゃないですか。すでに25歳の時に何もなくなったから。そもそも人間、何も持ってない。
でも、そのくらい覚悟を決めたら、人生変わります。
皆、安定を手放したくないから動けないと言うけど、その安定なんてないじゃないですか。安定を望んでいるその姿勢が、逆に私には怖いです。このご時世では、急に仕事がなくなったり、会社がなくなったりするかもしれないし、だから安定はない。
どう生き抜くかの知恵はいるけど、人生をどう自分らしく生きるかの方が大事。
私、11歳の時に、それまで育ててくれていたおばあちゃんが、大病を患って入院生活になり、卒業式にも誰にも来てもらえない、そんな中で自然と自立することが根付いていた。身内の借金を返し終えた時、初めて自分の好きなことをしようと思った。
ー 本当に、周りのためにやってこられたね。
私、フリーランスになってから、初めて自分を生き始めたと思いました。そして、これまでの苦しみは、人を理解するためだったのだと思える様になった。
選択ができた自分って、自信になる。
自分がそう思えたから、みんなに伝えたい。
ー 覚悟ですね。やってきたからこそ伝えられる。そんなあみさんがやってみたい新しいチャレンジは、どんなことですか?
「畑」をやりたいんです。
いつになるかまだわからないのですが、大分(県)に畑を持ちたいんです。これまでなかなか時間が取れなくて、帰省してもみんなに会えない。そんな中で思ったのが、畑があれば、みんなに一度に会えるんじゃないかなって(笑)
これまでご縁のあった方達、ウエディングをして下さった方達など。会った時はお二人だったけど、再会にはお子さんを連れて来られるとか。また他の家族との交わえる場所があったらいいなって思っていて、私が居なくても交流する場になればいいなって。
夏だったらBBQ、秋なら芋掘りなど体験できる場所。そこで獲れたお野菜は必要な人たちへお裾分け。
大分で余っている畑があれば、教えてください(笑)

ー それは素敵ですね。あみさんを通して広がっていくコミュニティ。今のあみさんのサービスには、どんな人に受けにきて欲しいなって思っていますか?
結婚式をしないって決めていたり、式をあげることに不安がある人。そのことを誰に相談したらいいのって、話したい人ですね。
ー フリーランスのサポートは、どんな方にきて頂きたいなと思いますか?
イメージはあるんだけど、まとまらない。自分の強みの活かし方がわからない人、自分の軸が欲しい人。
覚悟の決め方。それって本当にシンプルじゃないですか?やりたいか否か。その核心に迫りたい、本気になりたい人に来て欲しい。というか、会いたい。
ー あみさんの生き方、もうあみさんとお話ししているだけで、心の変化が起きますね。そして、あみさん自身、もっと自分を楽しむ!
自分もどれだけの可能性があるか、知りたい。
だから色々なチャレンジをしたい。次のチャレンジは、「畑」ですが、そこからどんな化学反応があるのかも研究したいです(笑)

Ms. Ami Himeno
nanairo合同会社代表。フリーランスウェディングプランナー(結婚式企画、運営)、しつもん経営コンサルティング、ハナサクパートナー、ファイナンシャルプラン ナー、ホームヘルパー2級 現在、神奈川県と大分県の2拠点を中心に全国でご活躍中。
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